おきた | 認知症の本人交流ページ【だいじょうぶネット】さんによるブログ記事

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本人ネットワークのサポーターしています。わからないことがあったらご連絡ください。

兵庫県たつの市

兵庫県たつの市で若年性認知症の支援のための研修会あります
2012年6月11日 制度やアセスメントシートについて
   7月9日 本人交流会、グループ作りについて
ご興味のあるかたはメッセージください

認知症の本人にお話いただきたいと思う場合

認知症の本人にお話してほしいという、お問い合わせがよくあります。

その目的を明確にお知らせください。
まだ偏見のある認知症の方が人の前で話すことは
本人や家族にも負担があることだと思います。

本人が話すことを聴くことは、何度認知症の研修を聴くことよりも理解を深めることだと思います。

けれども、話すことは本人にとってもメリットがあることなのか
例えば、認知症の偏見をなくすことに本人がはなすことが
役立つのだと実感できるなどが必要だと思います。

お問い合わせいただく場合は、そのことを明確にしてお問い合わせください。

大阪城公園の梅林

毎月第3木曜日にみんなで大阪城公園を歩いています。

今年は2週間ほど梅の開花が遅れたので3月にも見れてようです。

私は残念ながら行けませんでしたが、仲間からの投稿です。

クリスティーンからのメッセージ


『NPO シルバー総合研究所会報 知恵の輪11号(2012.2.1発行)より転載』

NPOシルバー総合研究所 http://www.silver-soken.com/

 

その後の私

 

クリスティーン・ブライデン

 みなさんのニュースレターにこうして寄稿させていただくことになりとても光栄です。皆さんの住む美しい国日本を最後に訪れたのはかれこれ数年前になりますが、今年の後半に再びお邪魔できればと思っています。2003年に初めて来日してから、日本ではそれは多くの変化が起こり、人々の態度は変化し、認知症の人たち自身も声をあげるようになりました。

しかし私自身にとっては2007年の札幌訪問以降、非常につらい日々が続きました。札幌でのクライマックスはポールによれば(私の記憶は真っ白です!)後藤さんと川窪ご夫妻に出会えたこと。そしてその後、二組のご夫妻はオーストラリア・クイーンズランド州まで訪ねてきてくれ、現地のケアギバーやスタッフに大きな影響を与えてくれました。ところが私自身は当時、暗澹たる気持ちで毎日を送っていたのです。気分はそれまでになく落ち込んでおり、目の前の(後藤さん川窪さん来豪の)素晴らしい光景を十分に吸収することができずにいたのです。数年に渡り、食べることも集中することも難しく、実行機能のますますの衰えを感じていました。体重も減り、心配する気持ちばかりが増し、ただ毎日を過ごしていくことに必死でした。しかし2010年の後半になると再びポールの勧めで旅をすることを考え始め、母の90歳の誕生日をイギリスで過ごした後、ギリシアに向かい、国際アルツハイマー病協会(ADI)会議に参加しました。そこで再会できたのは世界中の友人たちでした。そう、日本を含む温かい笑顔の様々な国の友人たちに出会えたのです。

そして昨年の3月、トロント国際会議での開会演説依頼を受け、再び出かけることになり、イギリスとベルギーの家族・親族に会うことができました。また、アルツハイマー病運動の同志たちと再会できる喜びは、その直前に知ることとなった日本での大震災、津波そして原発事故によってややトーンダウンしてしまいました。それでも私は日本がどれだけの進歩を遂げることができたか、ADI加盟国としてどれだけ人々の認知症の人たちに対する態度を変えることができたかの事例を話させていただきました。我々はもはや認知症老人として扱われるのではなく、認知障害のある人たちとしてきちんと敬意を払ってもらいながら語られるようになったのです。

2008年そして2009年というつらい2年を経て体調が回復したものの、ここ2年間も私にとって非常につらい2年でした。長年認知症や様々な病気と闘病した母が2010年に他界し、叔母も短期間のがん闘病の末、亡くなりました。私自身の闘病が容赦なく続く中、その喪失感と悲しみを乗り越えるのは容易なことではありません。

日々の生活を送ることがますます難しくなる中、ポールの忍耐力はますます求められるようになってきました。先のことを計画することはおろか、今朝あるいは昨日のことも思い出すことができないうえ、明瞭に思考すること、はっきりと話すことすらできない自分に激しく苛立ちを感じます。それがどんな気持ちかを説明するのは容易ではありません。流れていく時間の中で自分自身がどこにいるのかを把握し、自分は今何をやっているべきなのか、ましてやたった今自分が何をやったのかを考えることに苦闘しなければならないのです。

 

言葉はまさに支離滅裂になって発せられます。まったく意味をなさないことすらあります。いったいポールがどうやって私が言おうとしていることを理解するのか私にもわかりません。文字を書くと走り書きになってしまいます。様々な文字が脈略なく書かれていく。お金の勘定ももうできませんし、パソコンでの家計管理もよくミスをしてしまいます。そんな中、ポールは本当に見事に接してくれます。なんとか続けられるようにと励まし続けてくれ、なるべくできることを私にやらせようとしてくれます。こんなことを言うのも恥ずかしい限りですが、日々生活していくための苦闘があまりにひどく、限界を超えると叫んで大声をあげて罵倒し、まるで駄々っ子のようになってしまうこともあります。それでもポールは私のそばにいてくれることにただ感心するばかり!

そして今、私は三冊目の本にむけてメモをとったり、アイディアをまとめたりと計画を練っています。2冊目の本を2004年に執筆して以来、多くのことがありキャッチアップしなければならないことがたくさんあります。それは気が遠くなるような困難な課題ではありますが、私の脳の動きを活性化させ、神経可塑性を活発化させてくれるはずです。最新の脳スキャンではかなり損傷の進行が見られますが、ご覧のとおり、まだものを書いたり話をしたりすることができます。もちろん、あまり明瞭でないときもありますけどね!今、常にその配線が切れていく中でも、脳内の再配線をしようと懸命です。ですから、下り坂一直線というわけではなく、変化と挑戦に満ちたジェットコースターのような生活です。

今年の後半、日本の皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。

クリスティーン

2012年1月

 

大分の足立さんより

いつも心のどこかで戦っているんです

家族の会 大分県支部 足立昭一(本人)

今、私はデイサービスに通っています。

私の利用しているデイサービス「かざぐるま」は家庭的な雰囲気で、まるで自分の家に居るような感覚になります。私が、「お腹空いたよ〜。」と台所にいけば、私の大好きな栄養士の人が調理をしているものをポーンと口の中へ入れてくれるのです。最高にしあわせな時です。

昔、子どものころ、おふくろがよくしてくれていたことと同じです。

そういう雰囲気の中で職員の方が私にできる「仕事」を見つけてくれました。

掃除に始まり、体操の補助、利用者さんの髪を乾かしてあげたり、私の一番の得意とするところのマッサージをしたり(マッサージに関しては職員の方々のマッサージもします)・・・・と。

忙しくて、一日がアッというまに過ぎています。

よく「疲れませんか?」と尋ねられますが、私はこう答えます。「こんな楽しいことをさせてもらっているのに、なぜ疲れるんですか?」と。

利用者さんの喜ぶ顔、「ありがとう」と言って下さる言葉に、私はいつもやる気をもらっています。「仕事」といってもそこにお金は発生しませんが、「人の役に立つ喜び」を感じています。

私が「人の役に立つ喜び」を感じられるのは、周りの方々が、私を認知症の足立昭一ではなく、足立昭一の認知症としてみて関わって下さっているからだと思います。

私は診断されたときに「認知症なんかに負けないぞ!」と思いました。確かに苦しいとき、悲しいとき、辛いときはありますが、私はいつも自分の中で努力をして自分なりのレベルアップをしたいと思っています。この思いが今の自分を支えているような気がします。

認知症の人は、いつも心のどこかで自分と戦っているんです。

その戦いを自信や安心に変えられるのは、家族を含め周りの方々、つまり社会ではないかと思います。私たち認知症になったものは何か悪いことをしたからなったのではありません。本人が感じること、思うことをどんどん社会に向けて発信しましょう。私たちの声は、社会を支えるひとつの「鍵」になるのではと思います。

さぁ!今日も自分らしくやるぞー!

本人の声と日記より

2010・2・23

代筆 足立由美子(妻)

赤い実

街はもうクリスマスですね 2006年に本人会議の前にベルリンのADI(国際アルツハイマー病大会)に 行った時の写真です。クリスマスっぽい赤い実ですね。 あれから5年みなさんお元気ですか〜