言いたいこと私が
認知症診断、そして今
私は59歳です。大学の理工学部数学科を卒業が中学の数学の教師経て、コンピューター会社に就職しました。27歳のとき転職し、システムエンジニアになりました。1999年がろから、社内会議の議事録が書けなくなり、パソコンなどの商品型番・数量を記憶できず、入力するのに時間がかかるようになりました。しばらく休職をした後、2002年に配送係として復職しましが、配送先に台車を忘れたり、自分の車を探すのに、30分もかかるようになりました、2005年精神科を受診したところ、CTで脳に萎縮が見られ、アルツハイマー型認知症と診断をうけました。
現在、私は週二回はホームヘルパーを利用しながら、一人暮らしをしています。私は荒川土手に咲く花を見るのが好きです。美しい花を眺めていると、「生きている」を実感します。
2 私が作る私の生活
認知症に伴う日々の困りごとや不便ははたくさんあります。それらをできるだけ少なくするため、私が生活の中で工夫していることがあります。以下その一部です。
・毎朝起きると、パソコンで今日は何日で何曜日か、そして今日の1日のスケジュールを確認する。
・何をしたのかを忘れてしまうので、午前と午後どうすがしたのか、パソコに入力する。
・人との待ち合わせ時間・場所は、何度でも確認できるように、電話ではなくメールでやりとりをする。
・携帯電話のアラーム機能とお薬カレンダーで薬の飲み忘れを防ぐ。
・買い物に出かけるときは、「買い物リスト」と「買ってはいけないリスト」を持っていく
・台所で火を使っているときは、それを忘れないように、絶対他のことをしない。
・社会とのつながりをなくさないように、日々の出来事をファイスブックで発信する。
認知症になるとできなくなることもおおいものの、できることや残っている機能もたくさんあります。そしてそれは人によって大きく異なります。わたしの場合、パソコンやけータイを使いこなしながら、生活しています。私にとっては、記憶障害を補うツールとして、それはなくてはならなものです。
3 こんな社会であってほしい
認知症と生きていく中で、私は二つの偏見を知りました。一つは自分のんかにありました。「いろいろなことができなくなってしなう」という偏見(先入観)です。よれによって、
「失敗ばかりするのではないか」という不安に身動きもれなくな時期もりました。もうひとつの偏見は社会にありました。「認知症の人は考えることはできない、なにもわからない」
というものです。この2重の偏見は、認知症と生きようとする認知症当事者の生きる力を奪い、生きる希望を覆い隠すものだと思いまう。
私には社会や地域の人たちに願いしたいこと、こうあって欲しいことがあります。
・認知症お人が失敗しても、笑ったり、バカにしないでほしい。
・認知症の人を劣った価値のない存在と考えいでほしい。
・スーパーや駅の窓口などで、認知症の人がもたもたしていても、優しく待ってくれる社会であってほしい。
・認知症の人が好きな時に自由にそとにでかけられ、好きなことが出来る、街であってほしい。
・認知症の人を社会のお荷物や介護の対象と考えるのではなく、私たちが形成する社会の一員として認めてほしい。
認知症になると、確かに「不便」なことは増えますが、決して「不幸」なことではありません。450万人近くいる認知症の人たちが、これからもっともっと前向きに希望をもって人生を生きることが出来るように、皆さんと一緒に考えてほしいです。そして一人ひとりに少しだけサポートしてほしいのです。