若年性認知症インタビュー

◆若年性認知症インタビュー◆

自分探しの旅の終わりと新たな旅の始まり

佐藤雅彦さん(61歳)が、若年性のアルツハイマー型認知症と診断されたのは7年ほど前、東京で会社勤めをしていた時のことだ。退職後は、心の葛藤や目の前にたちはだかるさまざまな壁に対峙しながら、前向きな人生の歩み方を模索してきた。支援者の輪を広げ、パソコンや携帯電話のツールなどを駆使しての自立した生活や、当事者の深い思いを語ってもらった。

やはり、おかしい

やはり、おかしい──。
自分自身の異変を確信し始めたのは、顧客への配送業務をしていた時のことでした。以前と違い、秋葉原にある配送先がなかなか見みつからない。東京都庁へ配送しに行った時は、入口とは別の出口から出たために迷ってしまい、30分ぐらい自分の車を探し続けました。配送先に台車を忘れて戻ることもありました。マンションに配送した時は、指定された部屋に正しく届けたかどうか自信が持てず、次第に不安が募るようになったのです。
私は、1954年岐阜県に生まれ、大学の数学科を卒業。中学校の数学の教員を経てコンピュータ会社に就職しました。27歳で、別のコンピュータ販売会社に転職。システムエンジニアとして精力的に働くようになりました。
32歳の時、マンションを購入。居住者の皆さんに「やる気のある人にぜひ」と推され、ほどなくマンション管理組合の理事長に就任。一方、会社では労働組合の活動に取り組みながらも、本来のシステムエンジニアの仕事をこなすという、公私ともに多忙を極める日々を送ることになったのです。
翌年のある日、突発性難聴を発症して1週間入院。退院後、社内システムの開発事業に異動。さらに事務職に配置転換されました。それは私を傷つけ、仕事のやりがいを失わせました。システムエンジニアとして誇りを持って働いていましたから。人生の目的を求めて、教会に通い始めるようになり、39歳で洗礼を受けてクリスチャンになりました。

「告知」とは
突き放すことではないはず

異変の前兆は、実は45歳の頃からあったのです。
会議の議事録がうまく書けない。同時に二つの仕事を進められない。発注データの入力業務をこなしながら、定時にFAXを送信するという業務もこなせなくなっていたのでした。そこで病院に行き、頭部のMRIを撮ってもらうと、「異常なし」と診断されました。
でも相変わらず仕事を効率的に進められません。2年間休職し、48歳で復職。事務職は無理だとして配送係に配属されました。が、やはり配送の仕事もうまくできない──。
7年前に病院で異常がないと言われたけれども、51歳の時、思い切って精神科を受診することにしました。医師は頭部のCT画像を見ると、いきなり言いました。「脳に萎縮がみられます。アルツハイマー型認知症です」
ショックで頭の中はまっ白。私は何も質問することができずに、茫然自失のまま帰宅の途につきました。
心の準備もなく、突然、告知された時、患者はどういう心の状態になるのか、医師の方は想像してほしいと思います。
せめて初診の段階では「アルツハイマーの疑いがあります」でとどめてもらえなかったのでしょうか。「予後の年数はあくまでも標準であり、個人差があります」「大変ですが、これからどのように暮らしていくかを一緒に考えましょう」「これから二人三脚で歩んでいきましょう」などと言ってほしかった。何のために医師は告知するのか、その意味を考えてほしい。告知とは突き放すことではないはずです。告知後のフォローこそ大切。早期診断=早期絶望ではたまりません。
アルツハイマーと診断されてから、書店や図書館で関連の本を入手し、必死に勉強をしました。多くは6年から10年で全介護状態になる。どの本にもそう記されています。ただただ愕然とするばかりでした。
私は仕事をする気力を全く失くしました。今まで一生懸命働いてきて、楽しいことはまだ何もやってない。このまま病気で訳がわからなくなってしまうなんて嫌だ。これからの人生、楽しまなければ……。3カ月間病気欠勤した後、25年勤めた会社を退職しました。

不安が不安を呼び
混乱し寝込んでしまう

病気により、記憶に障害が起きることがわかったので、毎日の自分の行動をノートに記録しようと考えました。またパソコンにも日記を入力し始めました。
ある日、銀行に記帳に行くと、引き出した覚えのない数字が記載されているので驚きました。慌ててノートを読み返すと、「財布を忘れた」「薬を飲み忘れた」とか、「昼過ぎになったのに、その日の午前中の記憶がない」「本を読む気がしない」といった“ない”とか“忘れた”という類のものばかりが目立ちます。不安が不安を呼び、「食事の支度のためガスの使用中、電話がかかってきて長話をしているうちに、フライパンの火が燃え上がる。驚いて外に駆け出すと、マンションが火の海になっている」といった悪夢に悩まされる始末。自分をコントロールできる自信が消え失せていきそうでした。
突然、診察の時の資料とするため日々の様子を入力していたパソコンが故障しました。私はパニックを起こし、病院に駆け込みました。すると医師は「男性の一人暮らしでは介護保険のヘルパー派遣は無理だ(注:制度上は可能)。グループホームに入居するように」と勧めるのです。長年一人で生活してきた私は「一人暮らしはもう無理」と言われたことにショックを受け、さらに混乱し、寝込んでしまいました。

専門職には、いろいろな道を
一緒に探ってもらいたい

弟の判断で帰郷。兄がいる実家で一日中眠り続ける日々が続きました。
ようやく目が覚めると、今度は眠れなくなりました。夜半過ぎても雨が降り続き、気分転換をしたくても外に出ることもままなりません。窓を打つ雨音を聴いていると気がおかしくなりそうです。私は神さまに祈りました。
『愛する天のお父さま。私は今、気が狂いそうです。どうか正気に戻してください。ただし私の気が狂うことが神の御心ならば、私はそれを受け入れます』
すると心に平安が戻り、眠りにつくことができました。この時、クリスチャンになってよかったと感じました。私はこの時からすべてを神にゆだねることができるようになったのでした。
当時を振り返って思うに、医療者などの専門職の方々は、当事者が自分の家で暮らし続けたいという望みを「無理だ」と決めつけずに、どうしたら可能になるかをもっと考えてほしかった。頭から選択肢がないような言い方をせず、いろいろな道を一緒に探ってもらえるなら、どんなにか心強いことでしょう。
私は、2カ月足らずの間、兄の家で静養し、自宅に戻りました。気づいたことは、ノートにマイナスの面ばかりを記録に残していても、ますます落ち込むばかりだということです。その後は「まだこんなにできることがあったではないか」というように視点を変え、楽しいことを記録するようにしました。できなくなったことを嘆くのではなく、今できることを大切にする。そして新しい経験に挑戦して楽しむといい。発想がポジティブになってから、少しずつ前向きになっていったと思います。

家族会と出会い
様々なサポート情報を学ぶ

若年認知症家族会「彩星の会」は、最初に私が出会った民間の支援団体です。偶然、書店でみつけた北海道北竜町の元町長・一関開治さんの著書『記憶が消えていく』(二見書房)を読んで「彩星の会」を知り、定例会に出席するようになりました。
ここでは気兼ねなく何でも語り合うことができました。一般の人に自分の状況を話しても「そんなことないでしょう。気のせいですよ」「悪く考えすぎるのではないですか」といった反応が返ってくるのがほとんどですから。
「彩星の会」で得た情報は大変役に立ちました。50代でも介護保険が使えることを知ったのも「彩星の会」。成年後見制度のこと、障害者年金のこと、地域包括支援センターのことなども学ばせてもらいました。いろいろな制度、サポートがあることを、普通の人は知らないものなのです。
自分の病気について最初に知らされるのは医療者からです。病院のケースワーカーがもっと必要な情報を患者側に提供し、いろいろな組織に繋げてくれたら、どんなに助かるだろうかと思います。
 介護スタッフも、認知症の人がもっと楽しく前向きに暮らせるような話題を提供してくれると嬉しいです。旅が好きな人だったら、「テレビでこんな旅番組をやるので放送日をメモしておきましたよ」とか、絵が趣味なら「美術館でこんな催し物をやります。お友達と行ったらどうですか」等々。でもそれは理想論で、ヘルパーの方にしてみれば「訪問介護計画で指示されていることをやるだけで手一杯」というのが現実かもしれません。私もかつてヘルパーさんに「違った料理を提案してください」と頼んだら「私は料理研究家ではありません」と断られました(笑)。

認知症になっても
「暮らしやすい、やさしい町」をつくってほしい

私の望みは、認知症になっても暮らしやすい、やさしい町がつくられること。認知症の人はもっと自分の意見を発信すればいいと思います。
例えば、店のレジや銀行のATMなどでのお金の受け渡しは、認知症の人や高齢者、障害者にはどうしても時間がかかります。そこで複数の窓口が設けられている所では、そういう人たちのために優先窓口を開いてもらうように提案する。そういったことの積み重ねがあれば、みんなが気分よく日常生活を送れるようになるはずです。

一人暮らしを続けるため
様々な工夫をこらす

私が一人で暮らしていることを、立派だ、自由だと言う人もいます。でも自由でいることは大変なのですよ。すべてが自己責任。昼夜が逆転した生活をしても、髭をボウボウに伸ばしていても、体調が悪くなっても、誰も何も言いません。自己管理ができなければ、たちまち体調を崩してしまうでしょう。
ですから自分でいろいろ考えながら、日常生活の工夫をしています。例えば私は糖尿病が持病で、食事前にインスリンを打つのを忘れないように携帯電話のメッセージ機能を使う。さらに注射針はお薬カレンダーと一緒にまとめておき、そこに針があればまだ打ってない。なかったらすでに打ったとわかるようにしています。忘れるのを防ぐには幾重もの策を施すと安心です。自分が使いやすい投薬管理ケースも、薬局に行き、飲み忘れで困っていることを細かく説明して入手することができました。自ら積極的に動いて情報を探し、工夫すれば不便なことも解消できるようになるのです。

遠慮して家族にも口をつぐむ
心にも封をしてしまう

認知症の人は何もできない、何も考えられない──。そう捉えられることも少なくないようです。でもそれは違う。
認知症の人もいろいろと考えているのです。ただ自分の考えを言葉に出せない人も多い。「妻と立場が逆転した」。そんな言葉を若年認知症の男性からよく聞きます。自分が病気になって稼ぐことができなくなり、家族には経済的な負担をかけるばかり。家族におんぶして申し訳ないと思っているけれど、とても口にはできない。
「どこそこの介護施設に行きなさい」「この薬を飲みなさい」。そんなふうに全部お膳立てしてくれるから、自分は何も考えずに従っていればいい。例え不満があっても、指示どおりにしないと家庭でのバランスが崩れてしまう。だから口をつぐむ。心にも封をする。自分の生きる目的などを考えるなんてぜいたくなことなんだ、と。

できることと、できないこと
その落差がとても大きい

認知症の特徴の一つは、できることとできないことのギャップが大きいこと。
普通の人は何でも一様にできますが、認知症になると、ある特定のことができなくなります。ある若年認知症の中高年の方はパソコンの達人で、記憶力は低下していても、英語でパソコンのパワーポイントを使いこなし、素晴らしい資料を仕上げます。
周りの人はその人の一面だけを見て「こんなにできるじゃないですか。病気ではないでしょう」などと決めつけがちですが、実は本質を捉えていない。
「自分の困りごとを解決する方法を自分で考えられるような人は認知症ではない。だから主治医意見書は書けません」
私はかつて介護保険の要介護認定の更新をしようとして、医師にそう言われたことがあります。
患者や障害者が制度を利用しようとする時、たちはだかるハードルは、「自立しているとみなされてしまう」こと。薬の管理ができるなんて認知症じゃない。一人で外出できるなんて、ボランティアができるなんて、人前で堂々とスピーチができるなんて、ヘルパーの派遣は必要ないでしょう、となる。障害者自立支援法のサービスも、本人が自立に向けて努力すれば努力するほど障害程度区分の認定が厳しくなり、見捨てられることになるのです。

信仰に支えられた
生きることが仕事

私が長年抱えてきた最も大きなテーマは“生きがい探し”でした。世の中には、仕事ができる、収入が多い、地位が高いといった人たちが偉い人という価値観があります。でも認知症の人はそういう人とは対極に置かれてしまう。仕事を取り上げられて、世間からはじき出され、「あなたは社会的に価値がないんですよ」というレッテルを貼られるのです。そうなると自分の価値は何だろう、自分はこれから何を支えに生きていけばいいのかと思い悩みます。私も人生の目的を失いかけていたけれども、信仰に支えられました。
新約聖書に、「神は耐えることのできないような試練にあわせることはなさらない。試練とともに脱出の道も備えてくださる」という旨の一節があります。そのおかげで認知症は神様が私という人格を磨くためにくださった試練なのだと確信するようになったのです。
最近、気づいたことがあります。私にとっての生きがいとは何なのか。それは自分のささやかな目標をたて、満足感、充実感を得ること──。美しい庭園を眺めたり、興味のある本を読んだり、おいしいものを食べたりする時、充実した気持になります。遠くへ出かけなくても、日々の小さな身の回りのコト・モノに興味が湧くことで、自分は生きているんだなと思えます。土手を歩くと、春は菜の花、秋はコスモスが風にそよいでいるのに出会います。花も私も懸命に生きている。今の私の目標は、聖書を毎日20ページ読み、毎日7000歩、歩くことです。
生きることが私の仕事です。長い苦しい“自分探し”の旅はようやく終わりを告げ、新たな心満ちる旅が始まっています。

1 Comment

  1. こんばんは
    本日テレビの放送で、佐藤さんのことを知りました。
    告知を受けた時の再現ドラマを見て、自分が壊されるような絶望ではないかと、胸がしめつけられました。それなのに一歩一歩前に進んでいく10年間、すごいなと思いました。
    放送の最後に「つらくなった時に読む」と、星野富弘さんのことばが紹介されて、もしやと思い、検索して、このブログを見つけました。
    佐藤さんが信仰を持つクリスチャンと知り、やっぱり、というきもちでした。
    神さまは、新しい佐藤さんを造られて輝かせておられることに、感動しました。
    すばらしい証しに、感謝します。

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