まさ | 認知症の本人交流ページ【だいじょうぶネット】 - Part 3さんによるブログ記事

まさ | 認知症の本人交流ページ【だいじょうぶネット】 - Part 3さんのプロフィール
1954年岐阜県生まれ。2005年に認知症と診断される。男性。元システムエンジニア。

認知症当事者の私が伝えたいこと

認知症当事者はけっして、介護の対象の存在だけではありません。支援を必要としていることは、事実ですが、やりたいことを私の場合、芝居に連れていてくれることを支援していただきたいです。

認知症当事者のみなさんへ

自分の可能性を信じて、失った機能を数えるのではなくまだ残されている機能を十分活用して、充実した人生を送ろうではありませんか。自分のしたいことを遠慮なくいってください。

認知症サポーターのみなさへ

できることと、好きなことはちがいます。認知症当事者が充実した人生がおくれるように、楽しむことへの援助をお願いします。また社会の一員としてともに認めていただき、共に、歩みましょう、けっして、認知症当事者を介護、援助される対象だけだと考えないでください。
共に一緒に歩む仲間だと考えてください。
できることまで、手を出さないでください。時間がかかると言うことで、できることまで支援されるとできていたこたが、できなくなります。
よろしくお願いします。

二つの偏見

認知症への偏見をなくしたい

認知症は軽度であればいろいろな能力がのこされていて、認知症と診断されれば何もできなくなる、と言う誤解をまたは偏見をなくしたい。
社会にある認知症に対する偏った情報、誤った見方は
認知症と診断された人自身にも、それを信じさせてしまいます。
この偏見は、認知症と生きようとする力を奪い、
認知症と生きる希望を覆い隠してしまいます、この偏見をなくしたい。

発病・退職

2004年、
秋葉原で配達先を見つけるのに時間かかるようになったり
都庁の帰りに出口を探して迷うようになりました。

2005年、台車をユーザー先に忘れるようになり、
常に、台車を忘れていないか不安でした。
また、届ける商品が複数個ある場合、
正しく届けたという記憶がなく、心配の日々を送っていました。
精神科医に相談すると、脳のCTをとるように言われ、検査の結果
萎縮が見られ認知症だと診断されました。
会社には病気休暇を出し、その期間が終わった2006年2月に
25年勤めたコンピュータシステム販売会社を退職しました。

早期診断 早期絶望

「あなたはアルツハイマー型認知症です」と医師から言われた時、
私は頭が真っ白になり、質問することもできませんでした。
医師から十分な説明がなかったので、私は書店や図書館に通い、
「アルツハイマー」に関連する本を片っ端から勉強しました。

でも、知識が増えるごとに、私は希望を失っていきました。
何を読んでも
「認知症になると考えることができなくなる」「日常生活ができなくなる」、
「いずれ自分自身のことも分からなくなる」「意思も感情もなくなる」
というようなことしか書かれていなかったからです。

いま、私は、それが真実ではないことを知っています。
「出来る・出来ない」だけで人間を語ることはできません。
自分が自分であることは何によっても失われることはありません。
自分がどのように生きていくかは、自分が決めて、自分でつくることができるのです。

ふたつの「認知症の偏見」

私は、認知症と生きる中で、ふたつの偏見を知りました。

自分の中の偏見

ひとつは、自分の中にありました。
私自身が「何もできなくなってしまう」と思いこんでしまい、
「失敗ばかりするのではないか」という不安に、身動きが取れなくなってしまいました。

社会の偏見

もうひとつは、社会にあります。
私の経験をいくつか紹介します。

新しいことを覚えられない

認知症のことを知るために読んだ多くの本や、
これからどうすればいいのか、という思いで参加した講習会では
共通して、
「認知症になるとすべての人が新しいことを覚えられない」
ということが述べられていました。
本当にそうでしょうか?
後ほど、私自身の経験をご紹介します。

分からないだろう

かかりつけの眼科を受診した時のこと。
その医師には、私が認知症と診断されたことを伝えてありました。
ある時、医師から頭部のMRIを撮るようにと指示されたのですが
脳外科に行く理由や、MRIを撮る理由の説明はありませんでした。
説明しても、分からないだろう。
説明しても、仕方ない。
そういった医師の思いを感じました。

出来ないだろう

知人がボランティア先を紹介してくれ、先方からも依頼があったので
ボランティアを始めました。
でも、休みの日の連絡が来ないなど
私のことをあてにしていない、といった対応がありました。
来ても来なくても構わない、私には出来ないだろうと思われていたのでした。
そのボランティアは辞めましたが、
認知症の診断を受ける前から参加している別のボランティアは
今でも続けています。

言葉を待たない

私が何か話そうとしている時に、私の言葉を待たずに周りの人が
「こういうことですよね」と口を出すことがあります。
その人はよかれと思って代弁しているのかもしれませんが
認知症の人はうまく思いを言葉にできない、という思い込み、
偏見はないでしょうか。
そういう人もあるかもしれませんが、人によって違うのです。

一人暮らしは無理です

ある時、日記を書いていたパソコンが故障したのに直し方が分からなくなって、
パニックを起こして病院に駆け込みました。
その時、医師から
「若い男性の一人暮らしでは、訪問ヘルパーの利用はできない。
グループホームに入居したらどうか」と言われました。
こう言われて私は、施設に入るか、一人暮らしを続けるかずいぶん悩みました。
医師は無理だと言うけれど、私は、一人暮らしを続けたかった。
実際に、今私は訪問ヘルパーを利用しながら、自宅マンションで暮らしています。
あの時の医師の言葉は、単なる決めつけだったのだと思います。

子ども扱い

デイサービスに見学に行ったときのこと。
職員さんが一生懸命にやっているのはよく分かりますが
いい大人に向かって風船バレーをさせるなんて
子どもじゃあるまいし、バカにしていると思いました。
デイサービスでは、ただひたすら、時間をつぶすというような感じで、
来ている人がどのように過ごしたいか、といった配慮はありませんでした。

自分では何も出来ない存在になる

本や講演会、インターネットのサイトで「認知症」を調べると
必ず「介護」の文字があります。
もちろん、あると嬉しい手助けなら知りたい。
でも、「認知症になると介護が必要な存在になる」
つまり、「自分では何も出来ない存在になる」という
偏見を生み、固めているのではないでしょうか?
このことは、次に紹介する偏見に繋がっていると考えます。

認知症の人自身のための情報や支援は必要ない?

ほとんどの本には、認知症になって悪いこと、
これからこんなことが出来なくなるとか介護が必要とか
マイナス面のことしか書いていません。
認知症の人自身が生きていくための情報がありません。

また、家族の会、書籍、講演、TV番組など、
家族向けの支援はたくさんありますが、
本人に向けた支援はほとんどありません。

認知症の人に向けた情報や支援に目を向けられていないのは
それが不要だと考えられているからでしょうか?
認知症の人自身が、希望をもって生きていくための
情報と支援が求められています。

認知症と生きる私が伝えたいこと

いろんな人がいて、人それぞれできることがある
認知症になっても、何もできなくなるわけではありません。
いろんな人がいる、ということを知ってほしい。
人それぞれ、苦手になることや出来ないことはありますが、
出来ることはたくさんあるのです。

私は、認知症になって、次のことができるようになりました。

認知症になって覚えたこと

1、 携帯電話のメールを送ること。
2、 写メールを送ること。
3、 携帯電話のスケジュール機能を使って、スケジュールを管理すること。
4、 携帯電話のメモ機能を使って、メモすること。
5、 携帯電話の目覚まし機能とお薬カレンダーを使うことで
薬の飲み忘れを少なくすること。
6、 facebookの操作を覚えたこと。
7、 Ipodで音楽を聞くこと。
8、 CDデータをパソコンに移し、パソコンから音楽をきくこと。
9、 ICレコーダのデータをパソコンに移し、パソコンから録音データを聞くこと。
10、 ブログを書くこと。

今年1月、
facebookに落ち込んでいることを書きこんだら、
facebook仲間が声をかけ合ってくれて、
演劇に連れていってくれる人がみつかりました。
本当に私は幸せです。仲間に感謝です。

制度上の問題

外に出るときに、身体障害者には、電車、バスの半額割引制度があるのに、
精神障害の場合にはありません。障害があるという意味では同じなのに
外出のための支援に差があるのはおかしいと思います。

告知の問題

認知症の告知の問題に対しては、
告知された当初混乱や不安が起こりますが、
それを乗り越える力を信じて、告知されることが大事だと思います。
混乱や不安を乗り越え、
生きがいや楽しみを持ちながら生きていくための告知であって欲しいのです。

自分たちで考え、自分自身で工夫できることがある
私は、支援の手を借りることもありますが、
生活の困りごとがあれば、
生活に支障が出ないように解決方法を考えて実践しています。

いくつか、私の実践例をご紹介します。

困ったこと: 朝起きた時間をおぼえていない。
解決策:   起きたとき携帯電話で時計の写真を撮ると
写真が記録代わりになって、起きた時間が分かります。

困ったこと: 病院へ行く時など、いつから体調が悪いか覚えていない。
解決策:   気持ちが悪くなった時、携帯電話で自分の顔の写真を撮る。
顔色や表情と日付け、時刻が記録となり、いつでも確認できます。

困ったこと: 火を使用している時、席をはずすと
火を使用していることを忘れてしまう。
解決策:   火を使用している時は、火を消すまで席を離れない。

このような、生活の困りごとや自分なりの工夫を、
認知症の当事者同士が情報交換する場が出来ました。
実は、ご紹介した例の1と2は
この情報交換の場でヒントを得たものです。
本には載っていない、
認知症当事者同士が編み出した、一人ひとりの工夫です。

こういう情報が、
認知症当事者の役に立って欲しいのはもちろんですが
いま認知症じゃない人にも、是非知っていただきたい。
認知症になっても、生活のことを考え、実践し
自分自身の生活を続けていく「ひとりの人」だということを
知っていただきたいのです。

生きがいや楽しみがあってこそ人生

認知症の人でも、楽しむ権利があるはずです。
ところが、現実には、
認知症の人が「楽しみを持って生きる」ということが考えられていません。
衣食住だけ整っていればそれでよい、とされています。
そうではなく、例えば私だったら演劇やコンサートに行くなどの
生きる喜びを感じることを求めています。
生きがいや楽しみも人それぞれです。
生きがいを持って生きられるように、その人がしたいこと、出来ること、
楽しみたいことに目を向けた支援が必要です。

当事者とともに

認知症の人への支援を考えるとき、当事者抜きで、ことが始まっています。
何をしたいか。何がつらいのか。どんなことが必要か。
まずは聞いてほしいと思います。

例を挙げると、「認知症の人にはゆっくり話せばいい」と信じている人が多いですが
ゆっくり話せばいいというものではないのです。
聞き取りづらいとか、言葉が分かりにくいとか、返事するまで時間がかかるとか
その人によって違うのです。
ゆっくり話せばいいんだと決めつけないで、会話の途中で
「話すスピードはこれくらいでいいですか」と尋ねてほしい。
その人に合った話し方が必要なのです。
ゆっくりしたスピードを求めていない人に、はなからゆっくり話したら
侮辱されているのと同じ、と感じることだってあるでしょう。

考える時間、返事を待つことも同じです。
沈黙もあり、なのです。

まとめ

社会にある認知症に対する偏った情報、誤った見方は
認知症と診断された人自身にも、それを信じさせてしまいます。
この偏見は、認知症と生きようとする力を奪い、
認知症と生きる希望を覆い隠してしまいです。
認知症だからこうすればいい、という考え方ではなく
その人には、どんなことが必要か、という考えに基づいて
その人に尋ね、その人と一緒に、ベストな方法を探していただきたい。

認知症になったからこそ、人目を気にせず、
自分の好きなことしようではありませんか。
人それぞれ、“自分の可能性”があります。
そこに目を向けて欲しい。
認知症当事者の皆さん、
自分の可能性を信じ、周りに伝えようではありませんか。
周りの人も、可能性を信じ、それが実現するための支援をお願いします。

最後に

次の聖書のことばを信じて試練をのりこえてきました。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐えることのできないような試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。         新約聖書     コリント人への手紙 第一 10章13節

朝起きた時間を忘れてしまう

パソコンに起床時刻を入力して睡眠時間を管理しているが、起きた時間を忘れてしまう、3つの会@web[認知症当事者のホームページ]掲示板に書き込みをしたら、早速、起きた時間に携帯電話で写真を取れば、写真を撮った時刻が記録されるのでそれが、起きた時間です。素晴らしいアイデアを同じ認知症仲間から、回答を得て感動した。

認知症になって覚えたこと

1、 携帯電話のメールが送れるようになった。 2、 写メールが送れるようになった。 3、 携帯電話のスケジュール機能を使って、スケジュルーを管理すること。 4、 携帯電話のメモ機能を使って、メモすること。 5、 携帯電話の目覚まし機能とお薬カレンダーで薬の飲み忘れすくなくしたこと。 6、 FACEBOOKの操作を覚えたこと。 7、 Ipodで音楽を聞くことができる。 8、 CDデータをパソコンに移し、パソコンから音楽をきくこと。 9、 ICレコーダのデターをパソコンに移し、パソコンより録音データを聞くこと 10、 ブログを書くこと すべての認知症のひとが、新しいことを覚えられないという偏見をなくしたい。

認知症への偏見をなくしたい

認知症への偏見が多すぎで、医者も本人に、認知症ですと告げることにちゅうちょしますが、認知症で症状はひとそれぞれで、軽い認知症のうちならば生活にちょと困ります手助けがあれば一人でも生活できます。症状が軽いうちに注意することを医師よりアドバイスをうけ症状を悪化させないことが大切であると思います。 認知症に対する偏見をなくし、医師がちゅうちょなく、本人に認知症ですと告げて、認知症本人も認知症への偏見に傷つけられることなく、治療に専念できる日が早く来ればよいですね。

ipod nano 買いました。

ipodで音楽とラジオをきくことができるようになりました。パソコンの音楽デターをIpodに同期させることひとりでは、できませんでした。ipodは若者向けの商品だとわかりました。

新宿御苑温室

新宿御苑温室 あけましておめでとうございます今年もよろしくお願いします F1000324.JPG F1000325.JPG F1000322.JPG

認知症の症状を進めない秘訣

1. できことは、自分で進んでやる。 2. 外に積極的にでて活動すること。 3. 何事も、やる前から無理だとあきらめず、まずは始めること。 4. ストレスがたまることはすぐ止める。 5. なにごとにも関心をもつこと。 6. 十分な睡眠を取り、規則的な生活をおくること。 7. あれもだめ、これもだめと過保護にしないこと。 8. 美しいものを見たり、楽しいことをして十分気晴らしをすること。 9. 生かされていることに感謝すること。 10. 役割を持って、充実した人生をおくること。

毎日の希望

病気になると必ず病気が重くなったらどうしようと思って生活しがでがすが、毎日にせいいぱい暮し、出きなくなった時にとうするかを現在不安に思うのではなく、できなくなったとき考えればとい思います。あまり将来を悲観しなく毎日を楽しく暮しましょう。不安なことがあれば、どうしてもらいたいのか、記録しておくことが大切だとおもいます。聖書には神様は耐えられない試練はあわせられないいと必ず脱出の道ががありますとかれています。必ず、道は開けると信じて未来に希望もって毎日いきいき生活しましょう。

日々の希望

病気になると必ず病気が重くなったらどうしようと思って生活しちですが、毎日にせいいっぱい暮し、出きなくなった時にとうするかを現在不安に思うのではなく、できなくなったとき考えればとい思います。あまり将来を悲観しなく毎日を楽しく暮しましょう。不安なことがあれば、どうしてもらいたいのか、記録しておくことが大切だとおもいます。聖書には神様は耐えられない試練はあわせられないいと必ず脱出の道がのりますとかかれています。必ず、道は開けると信じて未来に希望もって毎日いきいき生活しましょう。

韓国ドラマ千日の約束

女性主人公のように、常に仕事をミスしないようにいつも緊張して生活していたら疲れてしまうと感じました。またつてに次に何をするにもアラームを鳴らして生活していくのも、疲れてしまいうと感じました。主人公の「人に迷惑をかけたくない」、「愛する人に自分が壊れていく姿を見せたくない」という言動には同じアルツハハイマー患者として共感をもてました。また、いつ自分が何もかも分からなくなると言う恐怖におびえ戦っている姿がよく描かれていました。

若年認知症のつどい in  習志野

習志野の集いで以下のことを話してきました。 1. 認知症になったら、すぐに何もできなくなるわけではない。 私は、認知症になってから、携帯メールを覚えたし、写メールも送ることもできるようになりました。 2. お薬管理は、お薬カレンダーと携帯電話のアラーム機能を使い管理しています。私は糖尿病にかかって、インシュリンを打っていますが、インシュリン打ったかどうか、お薬カレンダーに針があるかどうかで、打ったかどうか確認しています。また、携帯電話のアラームが鳴った時、打つ分量を表示して管理しています。 3. 認知症が進まないように、よく外に出るようにいわれますが、身体障害者には交通費の半額割引がありますが、精神障害者にはそのようなサービスがないので、精神障害者にも、交通費の割引サービスがあればよいといおもいます。 4. スケジュール管理は携帯電話はスケジュール管理を使い管理しています。    5.表計算ソフトエクセルを使い、起床時間、就寝時間をパソコンに入力して睡眠時間の管理をしています。                            6.良い介護とは、本人のできることまで援助しないことだと思います。 以上

国際医療福祉大学大学院で授業してきました

11月21日国剤医療福祉大学大学院で授業していました。 1. 認知症になっても、何もできなくなるわけではないということをのべてきました。 2. なんでも支援してしまうと、本人のできることの能力をうばい、よい介護とわ言えません。 3. できないことだけを支援する、そのために支援者には、できることと、できないことの見極め能力がとわれています。 4. 本人が生きがいを持て気入れるように、できないことだけに目をむ得るのではなく、できること、楽しみ支援することが大事です。 5. 外に出るときに、身体障害者には、電車、バスの半額割引制度があるのに、精神障害さなにはないことが、同じ障害者なのに、不公平だと思います。 6. 認知症の告知の問題に対しては、当初混乱、不安が起こりますが、それ保乗り越える力を信じて、各地されることが大事だと思います。 7. 認知症になったからこそ、人眼を気にせず、自分の好きなことしようではありませんか。そのための支援をおねがいします。

生活上の工夫

生活上の工夫 1. 毎日、起床時間と就寝時間をパソコンに入力して、睡眠時間の管理を行っています。 2. スケジュール管理は、携帯電話のスケジュール機能を使い、家を出る10分前にアラームをならして、約束の時間におくれないようにしています。 3. お薬の管理はお薬カレンダーと携帯電話の目覚ましを使い、飲み忘れをふせいでいます。 4. すでにあるものを買ってこないように、買ってくるものと、買ってはいけないメモをもって買いものに出かています。 5. 診察のとき忘れてはいけないことは、ICレコードに診察内容を記録して、診察日を付加した情報をパソコンにとりいれ 6. 行きたい駅には事前に駅探ソフトを使い自分の乗りこむ電車、到着時刻を調べ、携帯電話のメモ機能に入力した、約束時間に遅れないようにしています。 7.携帯電話、財布、部屋鍵は目につく定位置に置きなくさないようにしています。

クリスティーンさんの講演会

クリスティーンさんの講演会に先週参加しきました。認知症と診断サレテカラ17年もたつのに、自分状況を正しく正確に表現されることに驚いて帰ってきました。

生きるのは義務だ

本か読めなくなり、つくづく、「失しなわれた機能に目をむけるのではなく、残された機能に感謝して生きる」ことの難しさを痛感しています。 本が読めないため、三浦綾子の自叙伝「道ありき」の朗読CDを買ってきてききました。その一節に「生きるのは義務だ」とありました。なるほどだと思いました、生きるのは「義務」だから、どんなに苦しくとも生きなければならないのです。苦難に打ち勝ち、力強く生き抜きましょう