英字新聞ジャパンタイムズに私の記事がのりました

無題
みなさん
英字新聞ジャパンタイムズに私の記事がのりました。


認知症を持つ佐藤雅彦さん(61)は行政に、認知症当事者の声をもっと聴いてほし
いと訴える。
佐藤さんは認知症を持っていても、第三者の手助けと理解があれば、アクティブで自
立した生活ができることを証明している。2005年若年性アルツハイマーの診断を
受けた佐藤さんは、今年6月にケア施設にうつるまで、デジタルツールを駆使して記
憶障害をおぎなってきた。
埼玉県川口市在住の佐藤さんは、毎朝パソコンをたちあげ、グーグルカレンダーを
チェックする。時間の記憶がむつかしくなるのが認知症の症状の一部だが、グーグル
カレンダーには日付けが表示される、手帳にはない機能がある。
外出するときは、アポに関連したタイマーを携帯にセットして、乗り換え案内ソフト
を使うことによって、電車に取っているとき降りる時刻にアラームを鳴るようにセッ
トしている。これによってどこで降りるのかを防止することができる。
佐藤さんは2014年に自らの体験について「認知症になった私が伝えたいこと」と
言う本にまとめた。この本は2015年、日本医学ジャナーリスト協会賞、を受賞し
た。発売元の大月書店によれと、認知症本人が全部一人で書いた本としては、日本で
初めての本という。
佐藤さんは元々コンピューター会社でシステムエンジニアの仕事していたが、ソー
シャルメディアやIpadを使うようになったのはアルツハイマー病の診断受けて何
年もあとだという。そして、ほかの認知症当事者にも、なるべく早期にこうしたデジ
タルツールを使いはじめることを進めている。
佐藤さんは講演で全国をまわり、「認知症になると不便ではあるが、必ずしも不幸で
はない」と話す。
佐藤さんは体調にはなまいがあり、体調の悪化で大事なアポも直前にキャンセルしな
いといけない、日もあるという。それでも佐藤さんは前向きな持ち続けていて、その
ことが病気の進行を遅らせているこのに大いに役立っているようだ。
「認知症になったら、人生は終わりではない。残された機能に感謝して、素晴らしい
人生が待っていると信じて精一杯いきることだ。」

認知症当事者の皆さんへ

認知症当事者のみなさんへ

認知症ではないかと不安を感じている人。
診断を受けてこの先どうしたらよいか光が見えない人。…
不便や不自由が増えてストレスいっぱいの人。
他人の手を借りて日々を送っている人。
いま、たくさんの認知症当事者がこのとき過ごしていると思います。
1日1日、そしてこれからの人生を、ともに生きていこうではありませんか。

失った機能を悩んだり、嘆いたりするのではなく、残された自分の能力を信じましょう。
認知症になっても、楽しみは張り合いのある暮らしをおくることができます。
絶望することなく、希望を持ち待ちましょう。
できなくなったことが多くなっても、自分は自分です。認知症になったからこそ、他人を気にせずに、他人と比較することなく、自分の好きなことに時間を使いましょう。一人で頑張らず、同じ病気を持ちながら暮らしている仲間とつながりましょう。
そして、勇気を持って、自分が感じていること、思っていることをまわりの人に伝えていきましょう。
当事者が発言していきことで、認知症にたいする誤解や偏見をなくし、世の中をかえることができるはずです。
認知症になっても、人生をあきらめないで。
私もあきらめませせん。

私の使命

私の使命がまとまりました。
読んでいただければ、感謝です。

私の使命は、認知症になったら何もわからなくなるという誤解を解き、認知症でも適切な支援があれば、普通にくらせることを示すことだと、思います。

色々な支援

・認知症になると、道が分からなくなるが、案内人がいて、認知症当事者を目的地まで案内していただければ、認知症当事者も自由に外出することが出来きありがたい。
・買い物のとき、商品がどこにあるかがわからない。認知症当事者が買い物リストを持っていき、商品の棚まで案内してくれる買い物を手助けしてくれる人がいれば、自由に買い物することが出来る。支払いも手伝ってくれて、小銭を使って支払いの援助をしていただき、小銭が財布にたまらないようになればありがたい。
・交通機関で降りる駅を間違える。降りる駅が記入されているカードを持ち歩き、隣の人に、降りる駅が来たら指示してもらえばありがたい。
・コンサートとか、劇場でトイレの場所がわからなく迷う、同じ趣味の人を見つけて、一緒に楽しんでもらえばありがたい。
・レストランで注文したメニューを忘れてしまう。同席した人に注文したメニュを管理してもらえばありがたい。
・認知症当事者に趣味を理解して、展覧会、イベントの情報、四季の公園の花の開花情報集めて、イベントに誘っていただければ、ありがたい。

上記のような援助があれば、認知症当事者が自由に外出でき、豊かな暮らしをおくることができる。ご支援よろしくお願します。支援をうけたら「ありがとう」と言葉にして感謝の気持ちを伝えることが大切だとおもいます。

そのためには、一緒に同行して楽しんでくれる、パートナー〈複数が望ましい〉の存在が不可欠ではないでしょうか。一緒に物事を楽しんでくれる人をさがしています。よろしくお願いします。

ラン伴に参加しました

みなさま
認知症に人と一般市民がたすきをつないで、日本全国を駅伝するイベントに参加しま
した。
runtomo

困りごとと対策2

・疲れやすい
対策 長時間のイベント、の予定をいれない。
・外出するときのバッグがみつからない。
対策 外出する前日のよういする。定位置のバッグを置くように心がける。
ご見出し日が分からない
対策 携帯電話のスケジュール機能を使い、ご見出し日にアラームを設定する。
・住所と名前以外漢字で文字がかけなく、日記が書けなく日々の記憶が思い出さなく不安になる。
 対策 パソコンかIPADの操作を覚えて、パソコンまたは、IPAD上に記録を残す。

・朝起きて、今日が何日でどんな予定があるかわからないので困る
 対策 グーグルカレンダーに今日のが反転して表示されるので、今日の日と予定を確認する。

・目ざましおかけないと、目がさめないので、食事の時間に遅れることもある。
対策 携帯電話の目覚まし機能を使い、起きる時刻にアラームを設定する。

・時間な感覚がないので、11時に診察予定のスケジュールなのに、9時に病院に行き長時間またされる。
 対策 携帯電話のスケジュール機能を使い、診察時間より逆算して、家を出る時刻にアラームを設定する。

・日中、散歩のほか、することがなく、時間をつぶすのにこまる。
対策 週の初めに今週のスケジュールをきめ、読書、レコード鑑賞、定期的に行くところを見つけておく。(毎日図書館で新聞を読む習慣をつける)

・好きなテレビ番組があっても、曜日感覚がなく、みのがしてしまう。
 対策 録画して、好き時間にみる。

・時刻が分からないので、インシュリンを打ち忘れる。
対策 携帯電話の目話まし機能をつかい、注射を打ちたい時刻にアラームを設定する。

・インシュリンを打てっも、5分も記憶できないので困る。
対策 お薬カレンダーに針をセットして,針が所定の場所になければ、注射を打ったこととみなす。

・食事したこと自体わすれることもある。
対策 携帯電話のカメラ機能、IPADのカメラ機能で毎回食事の写真を撮り、食べた記録とする。

食堂にIPADを持っていくのを忘れる。
対策
Ipadを持って出ると張り紙をする。または、携帯電話スケジュール機能を使いアラームを設定する。

・Ipadを食堂に持っていくが、食事の写真が撮れるのをわすれる。
 対策 一緒に食事をする人に、写真をとることを促してもらう。

・病院に行く日を間違えることもある。
対策 携帯電話のスケジュール機能をつかい、病院に行く日を管理する。

・図書館が休みなのに、曜日が分からなくて、休みの日に図書館に行く(3回)。
考え方 散歩だと割りきる。

・部屋の鍵が見つからないために、部屋の外に出れない。
対策 予備の鍵を用意して、予備の鍵で出かけて、帰ってからゆっくり鍵を探す。

・外出するとき、携帯電話、財布、インシュリン、障害者手帳をよく忘れる。
対策 お出かけグッズを1か所にまとめておく。

・講演会行くとき、ICレコーダ―持っていきたいとおもいながらわすれる。
対策 ICレコーダーの定位置として、バッグの中にいつも入れておく。

困りごととその対策

困りごととその対策

・メールしようとしてパソコンを立ち上げ、たまたま受診メールを読んでいたら、メールすることを忘れる
 対策 受診メールを読まなく、すぐに、メールをおくる。割り込みはゆるさない。
・急に体調がわるくなりドタキャンが多い。
 対策なし。
・思いつきで行動するので、みんなに迷惑をかける、思いついても行動する前に、考えてから行動する。
 たとえば、思いつきで、私のドキュメントの取材の申し込みをする。
・パニックを起こしたら、深呼吸を10回して、冷静になるのを待つ。
・同時に二つのことができない。考え方 同時に二つのことはしない。
・スケジュール入力をまちがえてしまう。
 対策 信頼できる人に、入力を頼み、他人にスケジュールを管理してもらう。
・外出するとき、財布が見つからない
 対策 予備の財布を用意して、それを持ってでかけ、帰ったらさがす。
・部屋の鍵をどこに置いたかわからなくなる。
 対策 鍵をペンダントのように首から下げ、持ち歩く。
・携帯電話をどこに置いたかわからなくなる。
 対策 首から下げて、身につつける。固定電話から携帯電話に電話して、音で探す。
・浴槽の中の手桶が、自分の物か、備え付けの物かわからない。
 対策 自分の物には、自分の名前を書いておく。
・あった人の名前がおぼえられない。
 考え方 あったことを覚えていればよしとする。付添人におぼえてもらう。
    どうしても覚えたいときは、IPADで写真を撮り、名前を入力して覚える。
・短時間に買い物ができない。
 考え方 効率的に買い物する考えをすてて、時間をかけて買い物を楽しむ。スローライフを楽しむ。
・映画の筋がおえない
 考え方 見ている間、楽しいと思い筋がおけなくても、良しとする。
・何回でも同じことを言う。
 対策 ICレコーダーの言ったことを録音して、同じことを言わないようにする。
・電話で聞いたことを忘れてします。
 対策 いつでも何回でも確認できるように、メールでやりとりする。
・きいたことをすぐに忘れてしまう。
 対策 ICレコーダーに記録する。
・昨日どう過ごしたか覚えていないので、不安になる。
 対策 IPADまたは、パソコンに日記を書く。
・財布の中に、小銭がたまる。
 対策 小銭出しはらうよう、心がける。クレジットカードで支払う。
・クレジットカードをよくなくす。
 対策 買い物した時は、クレジットカードを財布にしまうことをわすれない。
   ときどき財布のなかにクレジットカードが入っていることを確認する。
・IPADをどこに置いたかわからなくなる。
 対策 定位置におくようにする。
・思いついたことをすぐに忘れる。
 対策 思いついたときに記録をこまめにとる。
・部屋がちらかる。
 対策 余分のもとはかわない。部屋が比較的かかたずいているうちに、こまめに掃除する。」
・モノをよくなくす
 対策なし
・認知症だと面倒をかけると思い、つきあってくれない。
 考え方 認知症に理解がある人と、付き合う。
・飲食店でトイレの場所がわからなく、一人でトイレにいけない。
 対策 案内人を頼む。
・日中することがなくこまる。
 対策 図書館に毎日新聞を読みに行く。IPADで音楽を聞く。
・家族も知っている、行きつけの喫茶店をさがす。
・お薬カレンダーへの、薬のセットを間違える。
 対策 お薬のセットをヘルパーさんに頼む。
・部屋の、掃除、整理整頓ができなくてこまる。
 対策 部屋の掃除、整理整頓をヘルパーさんに頼む。
・外出用バッグがみつからない。
 対策 外出する前日の、持っていくものを準備する。バッグを定位置の置くように心がける。
・予定を入れすぎて、疲れ切ってします
 対策 外出は週1回、最大でも週2回と原則をもうける。
・8月30日 日曜日 メールを送ろうとして、パソコンを起動するが、受信メールを読んでいて、メールを 送ることを忘れる。
 対策 まずすることをさきにする。割り込みゆるさない。
・診療の医療費の減免の書類をなくす2回、2回再発行
 対策 定位置に置くように心がける。
・ヘルパー利用の書類をなくす1かい。
 対策 定位置に置くように心がける。
・中学同窓会幹事の住所のメモをなくす。
 対策 1箇所にまとめておいておく・
・7月25日 土曜日 言葉が出なくなった。「小原」「熱中症」「診断」「池端」「館山」後日でてくる。
 対策なし
・7月29日 水曜日 「スプーン」と言うことばがでてこない。「認知症とともに歩む人」も出て来ませんでした。
 対策なし
・7月30日 のぞみメモリークリニックに電話したメモを覚えていない。
 対策 メモはIPADに記録する。
・7月30日 木曜日 みうら歯科の診察券をなくす。
 対策 財布のなかおき、ときどきチェクする
・7月28日 見ったかったテレビ番組を見逃す。
 対策録画してみる
・7月末 眼科診療を忘れる。
 対策 携帯電話のスケジュール機能出、診察日にアラームを設定する。
・8月 散歩していて来た道が帰れない。
 対策まわりよく注意してあるく。タクシーを読んで帰ってくる・
・8月6日 木曜日 血糖値を記録する、自己管理ノートをなくす。
 対策 定位置に置くように心がける。パソコンに血糖値を記録する。

若年性認知症インタビュー

◆若年性認知症インタビュー◆

自分探しの旅の終わりと新たな旅の始まり

佐藤雅彦さん(61歳)が、若年性のアルツハイマー型認知症と診断されたのは7年ほど前、東京で会社勤めをしていた時のことだ。退職後は、心の葛藤や目の前にたちはだかるさまざまな壁に対峙しながら、前向きな人生の歩み方を模索してきた。支援者の輪を広げ、パソコンや携帯電話のツールなどを駆使しての自立した生活や、当事者の深い思いを語ってもらった。

やはり、おかしい

やはり、おかしい──。
自分自身の異変を確信し始めたのは、顧客への配送業務をしていた時のことでした。以前と違い、秋葉原にある配送先がなかなか見みつからない。東京都庁へ配送しに行った時は、入口とは別の出口から出たために迷ってしまい、30分ぐらい自分の車を探し続けました。配送先に台車を忘れて戻ることもありました。マンションに配送した時は、指定された部屋に正しく届けたかどうか自信が持てず、次第に不安が募るようになったのです。
私は、1954年岐阜県に生まれ、大学の数学科を卒業。中学校の数学の教員を経てコンピュータ会社に就職しました。27歳で、別のコンピュータ販売会社に転職。システムエンジニアとして精力的に働くようになりました。
32歳の時、マンションを購入。居住者の皆さんに「やる気のある人にぜひ」と推され、ほどなくマンション管理組合の理事長に就任。一方、会社では労働組合の活動に取り組みながらも、本来のシステムエンジニアの仕事をこなすという、公私ともに多忙を極める日々を送ることになったのです。
翌年のある日、突発性難聴を発症して1週間入院。退院後、社内システムの開発事業に異動。さらに事務職に配置転換されました。それは私を傷つけ、仕事のやりがいを失わせました。システムエンジニアとして誇りを持って働いていましたから。人生の目的を求めて、教会に通い始めるようになり、39歳で洗礼を受けてクリスチャンになりました。

「告知」とは
突き放すことではないはず

異変の前兆は、実は45歳の頃からあったのです。
会議の議事録がうまく書けない。同時に二つの仕事を進められない。発注データの入力業務をこなしながら、定時にFAXを送信するという業務もこなせなくなっていたのでした。そこで病院に行き、頭部のMRIを撮ってもらうと、「異常なし」と診断されました。
でも相変わらず仕事を効率的に進められません。2年間休職し、48歳で復職。事務職は無理だとして配送係に配属されました。が、やはり配送の仕事もうまくできない──。
7年前に病院で異常がないと言われたけれども、51歳の時、思い切って精神科を受診することにしました。医師は頭部のCT画像を見ると、いきなり言いました。「脳に萎縮がみられます。アルツハイマー型認知症です」
ショックで頭の中はまっ白。私は何も質問することができずに、茫然自失のまま帰宅の途につきました。
心の準備もなく、突然、告知された時、患者はどういう心の状態になるのか、医師の方は想像してほしいと思います。
せめて初診の段階では「アルツハイマーの疑いがあります」でとどめてもらえなかったのでしょうか。「予後の年数はあくまでも標準であり、個人差があります」「大変ですが、これからどのように暮らしていくかを一緒に考えましょう」「これから二人三脚で歩んでいきましょう」などと言ってほしかった。何のために医師は告知するのか、その意味を考えてほしい。告知とは突き放すことではないはずです。告知後のフォローこそ大切。早期診断=早期絶望ではたまりません。
アルツハイマーと診断されてから、書店や図書館で関連の本を入手し、必死に勉強をしました。多くは6年から10年で全介護状態になる。どの本にもそう記されています。ただただ愕然とするばかりでした。
私は仕事をする気力を全く失くしました。今まで一生懸命働いてきて、楽しいことはまだ何もやってない。このまま病気で訳がわからなくなってしまうなんて嫌だ。これからの人生、楽しまなければ……。3カ月間病気欠勤した後、25年勤めた会社を退職しました。

不安が不安を呼び
混乱し寝込んでしまう

病気により、記憶に障害が起きることがわかったので、毎日の自分の行動をノートに記録しようと考えました。またパソコンにも日記を入力し始めました。
ある日、銀行に記帳に行くと、引き出した覚えのない数字が記載されているので驚きました。慌ててノートを読み返すと、「財布を忘れた」「薬を飲み忘れた」とか、「昼過ぎになったのに、その日の午前中の記憶がない」「本を読む気がしない」といった“ない”とか“忘れた”という類のものばかりが目立ちます。不安が不安を呼び、「食事の支度のためガスの使用中、電話がかかってきて長話をしているうちに、フライパンの火が燃え上がる。驚いて外に駆け出すと、マンションが火の海になっている」といった悪夢に悩まされる始末。自分をコントロールできる自信が消え失せていきそうでした。
突然、診察の時の資料とするため日々の様子を入力していたパソコンが故障しました。私はパニックを起こし、病院に駆け込みました。すると医師は「男性の一人暮らしでは介護保険のヘルパー派遣は無理だ(注:制度上は可能)。グループホームに入居するように」と勧めるのです。長年一人で生活してきた私は「一人暮らしはもう無理」と言われたことにショックを受け、さらに混乱し、寝込んでしまいました。

専門職には、いろいろな道を
一緒に探ってもらいたい

弟の判断で帰郷。兄がいる実家で一日中眠り続ける日々が続きました。
ようやく目が覚めると、今度は眠れなくなりました。夜半過ぎても雨が降り続き、気分転換をしたくても外に出ることもままなりません。窓を打つ雨音を聴いていると気がおかしくなりそうです。私は神さまに祈りました。
『愛する天のお父さま。私は今、気が狂いそうです。どうか正気に戻してください。ただし私の気が狂うことが神の御心ならば、私はそれを受け入れます』
すると心に平安が戻り、眠りにつくことができました。この時、クリスチャンになってよかったと感じました。私はこの時からすべてを神にゆだねることができるようになったのでした。
当時を振り返って思うに、医療者などの専門職の方々は、当事者が自分の家で暮らし続けたいという望みを「無理だ」と決めつけずに、どうしたら可能になるかをもっと考えてほしかった。頭から選択肢がないような言い方をせず、いろいろな道を一緒に探ってもらえるなら、どんなにか心強いことでしょう。
私は、2カ月足らずの間、兄の家で静養し、自宅に戻りました。気づいたことは、ノートにマイナスの面ばかりを記録に残していても、ますます落ち込むばかりだということです。その後は「まだこんなにできることがあったではないか」というように視点を変え、楽しいことを記録するようにしました。できなくなったことを嘆くのではなく、今できることを大切にする。そして新しい経験に挑戦して楽しむといい。発想がポジティブになってから、少しずつ前向きになっていったと思います。

家族会と出会い
様々なサポート情報を学ぶ

若年認知症家族会「彩星の会」は、最初に私が出会った民間の支援団体です。偶然、書店でみつけた北海道北竜町の元町長・一関開治さんの著書『記憶が消えていく』(二見書房)を読んで「彩星の会」を知り、定例会に出席するようになりました。
ここでは気兼ねなく何でも語り合うことができました。一般の人に自分の状況を話しても「そんなことないでしょう。気のせいですよ」「悪く考えすぎるのではないですか」といった反応が返ってくるのがほとんどですから。
「彩星の会」で得た情報は大変役に立ちました。50代でも介護保険が使えることを知ったのも「彩星の会」。成年後見制度のこと、障害者年金のこと、地域包括支援センターのことなども学ばせてもらいました。いろいろな制度、サポートがあることを、普通の人は知らないものなのです。
自分の病気について最初に知らされるのは医療者からです。病院のケースワーカーがもっと必要な情報を患者側に提供し、いろいろな組織に繋げてくれたら、どんなに助かるだろうかと思います。
 介護スタッフも、認知症の人がもっと楽しく前向きに暮らせるような話題を提供してくれると嬉しいです。旅が好きな人だったら、「テレビでこんな旅番組をやるので放送日をメモしておきましたよ」とか、絵が趣味なら「美術館でこんな催し物をやります。お友達と行ったらどうですか」等々。でもそれは理想論で、ヘルパーの方にしてみれば「訪問介護計画で指示されていることをやるだけで手一杯」というのが現実かもしれません。私もかつてヘルパーさんに「違った料理を提案してください」と頼んだら「私は料理研究家ではありません」と断られました(笑)。

認知症になっても
「暮らしやすい、やさしい町」をつくってほしい

私の望みは、認知症になっても暮らしやすい、やさしい町がつくられること。認知症の人はもっと自分の意見を発信すればいいと思います。
例えば、店のレジや銀行のATMなどでのお金の受け渡しは、認知症の人や高齢者、障害者にはどうしても時間がかかります。そこで複数の窓口が設けられている所では、そういう人たちのために優先窓口を開いてもらうように提案する。そういったことの積み重ねがあれば、みんなが気分よく日常生活を送れるようになるはずです。

一人暮らしを続けるため
様々な工夫をこらす

私が一人で暮らしていることを、立派だ、自由だと言う人もいます。でも自由でいることは大変なのですよ。すべてが自己責任。昼夜が逆転した生活をしても、髭をボウボウに伸ばしていても、体調が悪くなっても、誰も何も言いません。自己管理ができなければ、たちまち体調を崩してしまうでしょう。
ですから自分でいろいろ考えながら、日常生活の工夫をしています。例えば私は糖尿病が持病で、食事前にインスリンを打つのを忘れないように携帯電話のメッセージ機能を使う。さらに注射針はお薬カレンダーと一緒にまとめておき、そこに針があればまだ打ってない。なかったらすでに打ったとわかるようにしています。忘れるのを防ぐには幾重もの策を施すと安心です。自分が使いやすい投薬管理ケースも、薬局に行き、飲み忘れで困っていることを細かく説明して入手することができました。自ら積極的に動いて情報を探し、工夫すれば不便なことも解消できるようになるのです。

遠慮して家族にも口をつぐむ
心にも封をしてしまう

認知症の人は何もできない、何も考えられない──。そう捉えられることも少なくないようです。でもそれは違う。
認知症の人もいろいろと考えているのです。ただ自分の考えを言葉に出せない人も多い。「妻と立場が逆転した」。そんな言葉を若年認知症の男性からよく聞きます。自分が病気になって稼ぐことができなくなり、家族には経済的な負担をかけるばかり。家族におんぶして申し訳ないと思っているけれど、とても口にはできない。
「どこそこの介護施設に行きなさい」「この薬を飲みなさい」。そんなふうに全部お膳立てしてくれるから、自分は何も考えずに従っていればいい。例え不満があっても、指示どおりにしないと家庭でのバランスが崩れてしまう。だから口をつぐむ。心にも封をする。自分の生きる目的などを考えるなんてぜいたくなことなんだ、と。

できることと、できないこと
その落差がとても大きい

認知症の特徴の一つは、できることとできないことのギャップが大きいこと。
普通の人は何でも一様にできますが、認知症になると、ある特定のことができなくなります。ある若年認知症の中高年の方はパソコンの達人で、記憶力は低下していても、英語でパソコンのパワーポイントを使いこなし、素晴らしい資料を仕上げます。
周りの人はその人の一面だけを見て「こんなにできるじゃないですか。病気ではないでしょう」などと決めつけがちですが、実は本質を捉えていない。
「自分の困りごとを解決する方法を自分で考えられるような人は認知症ではない。だから主治医意見書は書けません」
私はかつて介護保険の要介護認定の更新をしようとして、医師にそう言われたことがあります。
患者や障害者が制度を利用しようとする時、たちはだかるハードルは、「自立しているとみなされてしまう」こと。薬の管理ができるなんて認知症じゃない。一人で外出できるなんて、ボランティアができるなんて、人前で堂々とスピーチができるなんて、ヘルパーの派遣は必要ないでしょう、となる。障害者自立支援法のサービスも、本人が自立に向けて努力すれば努力するほど障害程度区分の認定が厳しくなり、見捨てられることになるのです。

信仰に支えられた
生きることが仕事

私が長年抱えてきた最も大きなテーマは“生きがい探し”でした。世の中には、仕事ができる、収入が多い、地位が高いといった人たちが偉い人という価値観があります。でも認知症の人はそういう人とは対極に置かれてしまう。仕事を取り上げられて、世間からはじき出され、「あなたは社会的に価値がないんですよ」というレッテルを貼られるのです。そうなると自分の価値は何だろう、自分はこれから何を支えに生きていけばいいのかと思い悩みます。私も人生の目的を失いかけていたけれども、信仰に支えられました。
新約聖書に、「神は耐えることのできないような試練にあわせることはなさらない。試練とともに脱出の道も備えてくださる」という旨の一節があります。そのおかげで認知症は神様が私という人格を磨くためにくださった試練なのだと確信するようになったのです。
最近、気づいたことがあります。私にとっての生きがいとは何なのか。それは自分のささやかな目標をたて、満足感、充実感を得ること──。美しい庭園を眺めたり、興味のある本を読んだり、おいしいものを食べたりする時、充実した気持になります。遠くへ出かけなくても、日々の小さな身の回りのコト・モノに興味が湧くことで、自分は生きているんだなと思えます。土手を歩くと、春は菜の花、秋はコスモスが風にそよいでいるのに出会います。花も私も懸命に生きている。今の私の目標は、聖書を毎日20ページ読み、毎日7000歩、歩くことです。
生きることが私の仕事です。長い苦しい“自分探し”の旅はようやく終わりを告げ、新たな心満ちる旅が始まっています。