生きがい(2014年3月23日)
2005年10月末、私はアルツハイマー型認知症と診断されました。認知症だと全く予想していなかったので、頭が真っ白になり、なに考えられなくなり、茫然として家に帰りました。少し落ち着いてから本屋でアルツハイマー病の本を買い、勉強するとその本によれば、次第に記憶力がなくなり、しまいには何もわからなくなる、治療方法もない恐ろしい病気だとかいてありました。私は途方にくれ生きる力をうしないました。人生を楽しんでから、死にたいと思い会社はすぐに退職しました。幸いにもクリスチャンでしたので、教会に通っていましたので、教会の人が、毎週2回、火曜日と土曜日聖歌隊の練習に参加しないかとさそわれたので、断る理由もなく参加しました。讃美歌の練習をしているうちに、楽しくなり、神をたたえて生きることが、自分の使命だと思いようになりました。認知症と診断を受け、絶望していままでの価値観が音をたてて崩れましたが、絶望のなかからたちあがるには、新たな価値観を構築しなければなりませんでした。幸い人間の価値は、あれができるこれができるという、有用性で決まるのではない、と気が付き、イエス・キリストを信じ。聖書をいきる指針と考えていたので、その旧訳聖書、イザヤ書のなかで、「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い、わたしはなたを愛している」と言う神のみ言葉のみことばを信じて、自分は生きる価値ないつまらない、人間であると言う自己憐憫におちいることはありませんでした。
一度生きがいをなくした、人間が生きがいを持って生きるには、あらたな、価値観を創造して生きる喜びを得ない限り、生き生きいきることはできない。新たな生きがいを見つけるにか、時間がかかることもある。認知症になると従来何も考えられないと思われていたが、現在は、病気がすすんでも、自己は破壊されない、自己は温存されると考えられるようになった。確かに病気がすすむと適切な言葉がでてこなることはあるが、ちゃんと理解でいるので尊厳を持って接しなければいけない。認知症を患っていても、生き生き生きるためには、生活にはりが必要である。そのために、過去にどんなことに興味をもち、どんなことに喜びをかんじていたかを介護者は情報を家族か本人から引き出すひつようがある。本人から情報を引き出すには、本人と時間をかけて信頼関係を築き引き出す必要がある。
言いたいこと私が
認知症診断、そして今
私は59歳です。大学の理工学部数学科を卒業が中学の数学の教師経て、コンピューター会社に就職しました。27歳のとき転職し、システムエンジニアになりました。1999年がろから、社内会議の議事録が書けなくなり、パソコンなどの商品型番・数量を記憶できず、入力するのに時間がかかるようになりました。しばらく休職をした後、2002年に配送係として復職しましが、配送先に台車を忘れたり、自分の車を探すのに、30分もかかるようになりました、2005年精神科を受診したところ、CTで脳に萎縮が見られ、アルツハイマー型認知症と診断をうけました。
現在、私は週二回はホームヘルパーを利用しながら、一人暮らしをしています。私は荒川土手に咲く花を見るのが好きです。美しい花を眺めていると、「生きている」を実感します。
2 私が作る私の生活
認知症に伴う日々の困りごとや不便ははたくさんあります。それらをできるだけ少なくするため、私が生活の中で工夫していることがあります。以下その一部です。
・毎朝起きると、パソコンで今日は何日で何曜日か、そして今日の1日のスケジュールを確認する。
・何をしたのかを忘れてしまうので、午前と午後どうすがしたのか、パソコに入力する。
・人との待ち合わせ時間・場所は、何度でも確認できるように、電話ではなくメールでやりとりをする。
・携帯電話のアラーム機能とお薬カレンダーで薬の飲み忘れを防ぐ。
・買い物に出かけるときは、「買い物リスト」と「買ってはいけないリスト」を持っていく
・台所で火を使っているときは、それを忘れないように、絶対他のことをしない。
・社会とのつながりをなくさないように、日々の出来事をファイスブックで発信する。
認知症になるとできなくなることもおおいものの、できることや残っている機能もたくさんあります。そしてそれは人によって大きく異なります。わたしの場合、パソコンやけータイを使いこなしながら、生活しています。私にとっては、記憶障害を補うツールとして、それはなくてはならなものです。
3 こんな社会であってほしい
認知症と生きていく中で、私は二つの偏見を知りました。一つは自分のんかにありました。「いろいろなことができなくなってしなう」という偏見(先入観)です。よれによって、
「失敗ばかりするのではないか」という不安に身動きもれなくな時期もりました。もうひとつの偏見は社会にありました。「認知症の人は考えることはできない、なにもわからない」
というものです。この2重の偏見は、認知症と生きようとする認知症当事者の生きる力を奪い、生きる希望を覆い隠すものだと思いまう。
私には社会や地域の人たちに願いしたいこと、こうあって欲しいことがあります。
・認知症お人が失敗しても、笑ったり、バカにしないでほしい。
・認知症の人を劣った価値のない存在と考えいでほしい。
・スーパーや駅の窓口などで、認知症の人がもたもたしていても、優しく待ってくれる社会であってほしい。
・認知症の人が好きな時に自由にそとにでかけられ、好きなことが出来る、街であってほしい。
・認知症の人を社会のお荷物や介護の対象と考えるのではなく、私たちが形成する社会の一員として認めてほしい。
認知症になると、確かに「不便」なことは増えますが、決して「不幸」なことではありません。450万人近くいる認知症の人たちが、これからもっともっと前向きに希望をもって人生を生きることが出来るように、皆さんと一緒に考えてほしいです。そして一人ひとりに少しだけサポートしてほしいのです。
昭和記念公園コスモスの丘

青森県奥入瀬渓谷
ご無沙汰していますがお元気ですか
青森県奥入瀬渓谷にきています
私の不便さ
認知症になるとどんな不便が起こるか(2013年8月作成)
・火を使用しているときは、火をつけていることを忘れてしまうので、絶対に席を外さない。
・文字が書けなくなる
対策
パソコンまたはIPADとで日記をつける。
・同時に二つのことができない。
考え方
同時に二つのことはしない。一つのことを終えたら、次のことをする。割り込みをゆるさない。
・薬を飲んだかどうかわからなくなる。
対策
お薬カレンダーに1週間分お薬をセットして、お薬カレンダーに該当する日時に薬がなければ、飲んでいると、目で確認する。
薬を飲む時間を決めて、飲む時間に携帯電話のスケジュール機能を使いアラームが鳴るようにセットする。
・何月何日、何曜日かわからなくなる。
対策
日付け、曜日、時間が表示されている、時計を買う。
パソコンで日付、日時を表示させて、確認する。
・何回同じスーパーに行っても、商品の位置覚えられない。
考えかた
短時間に効率的に買い物をしようとする、考えを捨てて、のんびり買い物をするように考え方をかえる。
・固定電話葉から、電話番号をスムーズに押すことができず、電話がかれられない。
対策
携帯電話に電話番号を登録して、携帯電話から電話する。
・電話内容を忘れてしまう。
対策
携帯メールで用件を伝え、メールで返事をもらう。
・新しい場所に一人でいけない。
対策
案内人を事前に頼んでおく。
・はじめての駅に行くときは。
対策
駅探で、経路、到着時刻をしらべてから行く。
・外出するとき、時間感覚がなく約束の時間に遅れそうになる。
対策
携帯電話のスケジュール機能を使い、出発時刻にアラームが鳴るように、セットする。
・すでに買い置きしてある、商品をダブって買ってくる。
対策
買ってはいけないリストを持って買い物に行く。
・同じホームより複数方面に行き電車に乗るとき、アナウンスをすぐ忘れてしまい不安に思う。
対策
付添人を頼むか、早めに行って、よく電車を確認してのる。
・はじめての場所、お店では、トイレの場所がわからない。
対策
案内人を頼む。
・約束をよく忘れる。
対策
携帯電話のスケジュール機能を使い、約束の時間にアラームが鳴るようにセットする・
約束は1日1件とする。
・昨日なにをしたのか覚えていないので、記憶の連続性がなく、不安になる。
対策
ノート、手帳だとなくしていまい、パニックをおこすので、パソコンで日記を書く。
・お金を引き出しても、同時に記帳しないとお金を引き出したことを忘れてしまう。
対策
お金を引き出したら、すぐに記帳して、使用目的を通帳に記入する。
生活費は月の前半、後半と分けて、前半に使いすぎたら、後半は節約する。
・毎日することがなく生活にはがない。
対策
週のはじめに、今週なにをするか、きめる。
・小銭ばかり財布にたまる
対策
小銭をお釣りでもらわないように、クレジットカードで支払をする。
・インシュリンをよくうち忘れる。
対策
食事を準備する時刻と食事の前に、アラームをならし、食事の前にインシュリンを打つ。
・携帯電話をよくどこに置いたかわからなくなる。
対策
定位置に携帯電話を置くように、心がける。
固定電話から携帯電話に電話して、呼び出し音携帯電話を探す。
・ワードで変換された漢字がただしいかわからなくなる。
対策
国語辞典でしらべるしかない。
・請求書をよくなくす。
対策
よく見える定位置に置き、すぐに支払に行くか、初めからクレジットカードで支払う
・対策が立てられない困りごと。
人の名前が覚えられない。
毎週お会いしている、教会員の名前が出てこない。
切符をよくなくす。
郵便物をどこに置いたか、わからなくなる。
実印をなくした。
印刷した講演資料をよくなくす。
整理、整頓ができない。
物をよく失える。
車の運転ができない。
言葉を理解するのに時間がかかる。
テレビのドラマの筋がおえなくなる。
不眠症になって、睡眠導入剤もきかず困っています。
Ipadminiを使っての生活の工夫
・パソコンおたちあげるのに時間かかていたので、Ipadminiに起床時刻,就寝時刻をメモアプリを起動させ入力している。
・午前中におこなったことは、午前中に、午後のことは、午後のにメモアプリに入力する。
・パソコンに入力されている、音楽データをipaodmini に移して聞く。
・ipadmini で写真をとり、facebookに画像を投稿する。
・facebookブックを通じそとのの交友関係をふかめる。
・メモアプリでメモをとる。
・携帯電話よりfacebookに投稿していたのを、Ipadmini より投稿する。
明治神宮御苑
ご無沙汰していますがお元気ですか
花菖蒲を見に来ています写真を2まいおおくりします
認知症への偏見
2005 年。「あなたはアルツハイマー型認知症です。」と医師から言われた時、私は頭が真っ白になり、質問することすらできませんでした。
その後私は「アルツハイマー」に関する本を片っ端勉から勉強しました。でも、知識が増えるごとに、私は打ちのめされていきました。なぜなら、どの本にも絶望への道筋しか記されていなかったからです。それは、認知症になると、「考えることができなくなる」「日常生活ができなくなる」いずれ、「自分自身のことが分からなくなる」「意志も感情もなくなる」というものでした。
今、私は、それらの本に書かれていたことが真実でないことを知っています。「できる、できない」だけで人間を語ることはできません。自分が自分であることはなにによっても失われることは、ありません。自分がどのように生きていくのかは、自分で決め、自分の生活は自分で作ることができます。
認知症と生きる私は、二つの偏見を知りました。一つはに自分の中にありました。私自身、何もできなくなってしまう」という偏見(先入観)にとらわれ、「失敗ばかり、するのではないか」という、不安に、身動きが取れなくなりました。
もう一つは、社会にあります。
認知症なると「考えることができなくなる」否、
「何もわからなくなる」否、
社会が持つ認知症への偏見(先入観)それによって生まれる自の中の偏見。
これらの2重の偏見は、認知症とともに生きようとする認知症当事者の力を奪い、認知症当事者の生きる希望を覆い隠すものです。
生き生き生活するためには、
人がいきいきと生きていくためには
いきいきと生きるためには、衣食住が足りているだけでは十分ではありません。
社会の一員として、何かの役割をもちたい。
社会の一員と認められたく、仕事がしたい。
認知症になっても、仕事を持って働きたい。
働いたからには、少しでもいいから賃金をもらい、自分にもできることがまだあると自信をもちたい。
賃金はもらえなくとも、駅,公園の清掃のボランティアなど、人の役ににたてることを通してして人は自分の存在理由を確かめたい。
認知症になっても、できることをして、存在理由を確かめながら生きていきたい気持ちは、普通の人より人一倍強いです。
これからは、重度の人の介護だけでなく、軽度の認知症の人がいかに楽しく生活できるか、どのように生活支援をしていくかが、今後の課題であると思います。
アートセラピーで絵も描きたい。
沖縄旅行もしたい。
演劇やコンサートにも行きたい。
スポーツが好きな人は、家の外に出てスポーツもしたい。
あめには