『NPO シルバー総合研究所会報 知恵の輪11号(2012.2.1発行)より転載』
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その後の私
クリスティーン・ブライデン
みなさんのニュースレターにこうして寄稿させていただくことになりとても光栄です。皆さんの住む美しい国日本を最後に訪れたのはかれこれ数年前になりますが、今年の後半に再びお邪魔できればと思っています。2003年に初めて来日してから、日本ではそれは多くの変化が起こり、人々の態度は変化し、認知症の人たち自身も声をあげるようになりました。
しかし私自身にとっては2007年の札幌訪問以降、非常につらい日々が続きました。札幌でのクライマックスはポールによれば(私の記憶は真っ白です!)後藤さんと川窪ご夫妻に出会えたこと。そしてその後、二組のご夫妻はオーストラリア・クイーンズランド州まで訪ねてきてくれ、現地のケアギバーやスタッフに大きな影響を与えてくれました。ところが私自身は当時、暗澹たる気持ちで毎日を送っていたのです。気分はそれまでになく落ち込んでおり、目の前の(後藤さん川窪さん来豪の)素晴らしい光景を十分に吸収することができずにいたのです。数年に渡り、食べることも集中することも難しく、実行機能のますますの衰えを感じていました。体重も減り、心配する気持ちばかりが増し、ただ毎日を過ごしていくことに必死でした。しかし2010年の後半になると再びポールの勧めで旅をすることを考え始め、母の90歳の誕生日をイギリスで過ごした後、ギリシアに向かい、国際アルツハイマー病協会(ADI)会議に参加しました。そこで再会できたのは世界中の友人たちでした。そう、日本を含む温かい笑顔の様々な国の友人たちに出会えたのです。
そして昨年の3月、トロント国際会議での開会演説依頼を受け、再び出かけることになり、イギリスとベルギーの家族・親族に会うことができました。また、アルツハイマー病運動の同志たちと再会できる喜びは、その直前に知ることとなった日本での大震災、津波そして原発事故によってややトーンダウンしてしまいました。それでも私は日本がどれだけの進歩を遂げることができたか、ADI加盟国としてどれだけ人々の認知症の人たちに対する態度を変えることができたかの事例を話させていただきました。我々はもはや認知症老人として扱われるのではなく、認知障害のある人たちとしてきちんと敬意を払ってもらいながら語られるようになったのです。
2008年そして2009年というつらい2年を経て体調が回復したものの、ここ2年間も私にとって非常につらい2年でした。長年認知症や様々な病気と闘病した母が2010年に他界し、叔母も短期間のがん闘病の末、亡くなりました。私自身の闘病が容赦なく続く中、その喪失感と悲しみを乗り越えるのは容易なことではありません。
日々の生活を送ることがますます難しくなる中、ポールの忍耐力はますます求められるようになってきました。先のことを計画することはおろか、今朝あるいは昨日のことも思い出すことができないうえ、明瞭に思考すること、はっきりと話すことすらできない自分に激しく苛立ちを感じます。それがどんな気持ちかを説明するのは容易ではありません。流れていく時間の中で自分自身がどこにいるのかを把握し、自分は今何をやっているべきなのか、ましてやたった今自分が何をやったのかを考えることに苦闘しなければならないのです。
言葉はまさに支離滅裂になって発せられます。まったく意味をなさないことすらあります。いったいポールがどうやって私が言おうとしていることを理解するのか私にもわかりません。文字を書くと走り書きになってしまいます。様々な文字が脈略なく書かれていく。お金の勘定ももうできませんし、パソコンでの家計管理もよくミスをしてしまいます。そんな中、ポールは本当に見事に接してくれます。なんとか続けられるようにと励まし続けてくれ、なるべくできることを私にやらせようとしてくれます。こんなことを言うのも恥ずかしい限りですが、日々生活していくための苦闘があまりにひどく、限界を超えると叫んで大声をあげて罵倒し、まるで駄々っ子のようになってしまうこともあります。それでもポールは私のそばにいてくれることにただ感心するばかり!
そして今、私は三冊目の本にむけてメモをとったり、アイディアをまとめたりと計画を練っています。2冊目の本を2004年に執筆して以来、多くのことがありキャッチアップしなければならないことがたくさんあります。それは気が遠くなるような困難な課題ではありますが、私の脳の動きを活性化させ、神経可塑性を活発化させてくれるはずです。最新の脳スキャンではかなり損傷の進行が見られますが、ご覧のとおり、まだものを書いたり話をしたりすることができます。もちろん、あまり明瞭でないときもありますけどね!今、常にその配線が切れていく中でも、脳内の再配線をしようと懸命です。ですから、下り坂一直線というわけではなく、変化と挑戦に満ちたジェットコースターのような生活です。
今年の後半、日本の皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。
クリスティーン
2012年1月
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
どう生きるか
認知症になると、できなくなることも多いが残された機能も多い。残される機能は、人によって、非常に異なります。
自分の気持ち感情を言葉に表せず、暴力を振るう人もいますが、全部の認知症の人が周辺症状と呼ばれる症状が現れるのではありません。
人間の価値を有用性だけで価値がきまるのでなく、人間は自分で生きているのではなく、神様によっていかされているので、自分は認知症になって無価値の存在だと卑下したりする必要はありません。
失われた機能に目を向けるのではなく、残された機能に目をむけて生きることが大切である。
私は毎週教会に通い、礼拝に出席して心の平安を得ていますので、将来への不安はありません。
私は、認知症になって不便なことは増えましたが、決して不幸ではありません。
次の聖書のことばを信じて試練をのりこえてきました。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐えることのできないような試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 コリント人への手紙 第一 10章13節
1)認知症の症状がかなり進んでも、認知症本人には何もわからない人と考えないでほしい。
言葉で自分の状態を表現できなくともその人の顔の表情や態度から、その人の快,不快を読み取れ、生活支援ができる人であってほしい。
2)自分の気持ちや感情を言葉に表せず、暴力を振るう人もいるが、すべての認知症の人が周辺症状と呼ばれる症状があらわれるのでないことを心にとめてほしい。
・適切な介護をすれば、笑顔で暮せるようになる。
・周辺症状は認知症本人からの訴えであるので、本人の声に耳を傾けてほしい。
言葉でうまく伝えられない人もいるので、顔つきで判断してもらいたい。
・周辺症状には必ず原因があるので、それを見極めてから支援又は介護してもらいたい。
・周辺症状が出たときには、どんな状況で起きたのかを記録しておき、できるだけおきないような環境を保つように努力をしてもらいたい。
・周辺症状を問題行動ととらえるのではなく認知症本人が今受けているサービスへの不満の意思表示と受けとめてほしい。
3)認知症になると、できなくなることも多いが残された機能も多い。
残される機能は、人によって非常に異なる。
・できないことばかりに目を向けるのでなく、できることを見つけて、認知症本人が自信を持って生きるように助言してもらいたい。
・認知症本人のできないことではなくできることを見つけて、張り合いのある生活を支援することが仕事であると自覚してもらいたい。
・できることとできないことをしっかり見抜き、できることまで支援しない配慮をもってほしい。
・認知症にはいろいろなステージがあり、日によっては同じことでもできるときとできないときがある。本当にできないのか、意欲がないのかをみきわめてもらいたい。
気分が乗らないときは、無理をさせないでほしい。
4)介護を受ける人の生活歴を知り、これからもその人らしく生きていくために、月に1回ぐらいは認知症本人の話にじっくり耳をかた向け、何がしたいのか、どのように過ごしたいのかなど確認する時間をもってもらいたい。
5)毎日、認知症本人の名前を呼び挨拶をして、なじみの関係を作り、認知症本人から信頼される介護者になってもらいたい。マニュアル的な機械的な挨拶でなく、心のこもった挨拶をしてもいたい。
6)認知症本人を特別な人と考えず、特別な人間として接するのではなく、あくまでも人格のプライドも持っている一人の人として接してほしい。
7)認知症になっても人間的に劣ると考えない。
劣ると考えて接すると態度に現れ、認知症本人が不愉快に感ずることも起こる。
認知症になっても記憶障害は起こるが、感情障害は起こらない。
不快な感情の気持ちはいつまで残る。
認知症本人が不快な介護を受けていると感じると介護者と良好な関係が築けない。
8)情報を早めに伝えすぎると忘れてしまったり、不安になったりするので、ゆっくり、適切な時刻に知らせる。
9)本人が使い慣れた言葉で、わかりやすく話してほしい。認知症の人によっては、
早口や長い文章で話しかけられると聞き取れなかったり、言葉の意味を理解できないこともあるので、その人の症状にあった声かけ・話をしてほしい。
10)同じことを聞かれても、面倒くさがらない。
なぜ同じ話をするのか。例えば、忘れてしまって何度も聞くのか、不安で何度も確認しているのか、相手の気持ちになって考えてほしい。
11)古い認知症の先入観を捨てて、認知症本人にも必ず誇りがあり、誇りを傷つけない接しかたをしていただきたい。
12)愛(忍耐)を持って接してもらいたい。
愛とは
理解するー 愛とは相手の思い、心、痛み、願い、訴え、相手のすべてを理解しようとします。
思いやるー 愛は相手と同じ立場に立って、喜び、悲しみを共に感じようとします。
受け入れるー 愛は相手のありのままを受け入れようとします。
存在そのものを受け入れるのです。それも無条件です
犠牲を払うー 愛はいつも愛する者のために、犠牲を惜しみません。
認知症の人が生き生き豊かに暮らすには、介護の通所介護施設やグループホームや医療の通所リハビリ施設や病院などに閉じ込めるのではなく、地域に出て行き、買い物をしたり、外食をしたり、喫茶店でコーヒーを飲みながらおしゃべりをして、認知症になる前と変わらに暮らしができるのが望ましい。
そのためには、まず、認知症という病気を正しく理解してもらい、認知症になっても暮らしやすいやさしい社会であることが重要になります。例えばレジでお金を払うに時間がかかってもせかせるのでなく思いやりを持ちゆっくり待っていただきたい。
そのためには駅、スパーの支払窓口に高齢者、障害者、認知症本人の優先窓口を設けてもらいたい。
スーパーでは立ち止まり何かを探しているようなときは、何かお困りですかと声をかけてもらいたい。
認知症の人の中には、自分の感情をコントロールする能力が低下して、不当な扱いを受けると(いやな言葉と感じる時)我慢することなく大声を出したり、つついたりすり人もなかにはいるが、全ての認知症の人とが、そうするはけではない。
私は、今は感情をコントロールでき、普通の人と同じようにふるまうことができます。
認知症の人は、何か言われても反応をするまで時間がかかってしまい、『言っても通じない』と誤解されやすいが、時間をかければ十分言葉を理解する能力を持っているので、早口でまくしたてるのではなく、ゆっくり、時間をかけて伝える必要がある。
また、言葉でうまく表現できないこともあるので、何が言いたいのか、何を話したいのかと相手の気持ちを考えながら耳を傾けてほしい。
認知症の人を特別な人とみるのではなく、物事を理解するのに時間かかる人だと認識する知識をもってもらいコミュニティの一員として受け入れられることが大切であります。
1.毎日することがなく、生活に張りがない。
①日によっては何もする気力が起こらない。
②することがなく虚無感に襲われることもある。
③テレビに興味がなくなり、何もせずにぼけーと過ごすこともある。
④気力にむらがあり、読書も、パソコン入力もできないこともある。
2.方向や場所がわからなくなる。
①よく利用する駅で、例えば新宿南口改札に行くにも、真ん中の車両に乗ると電車を降りてどちらの方向にむかって歩くいたらよいかわからなくなった。
②よく利用する飲食店の場所が分からなくなった。
③見知しらぬ飲食店では、トイレがどこにあるか分からなくて案内してもらうが、帰りも案内されなければ席に戻れないこともある。
④行ったことのない駅では、改札口からどんなに近い場所でも、どちらに歩いたらよいかわからない。
3.記憶の障害
①名前が覚えられない・思い出せない
・毎週会っている教会員の名前が出てこない。
・新しくお会いした人の名前が覚えられない。
②糖尿病を患っているが、インシュリンの管理では・・・
・ 血糖値を測り忘れる。
・インシュリンを打ち忘れる。
・インシュリンの量を正しく設定したかどうか覚えていないので不安になる。
・血糖値測定に使う針を新しい針に取り換えたかどうか覚えていないので不安になる。
③物を置いた場所を忘れる
・重要な書類をなくすことが多い。
・実印をなくました。
・郵便物をどこに置いたかわからなくなる。
・1日のうち何度か携帯電話をどこに置いたかわからなくなり探し回る。
・腕時計、名刺入れ、携帯電話、財布などを定位置に置くことができず、探すのに時間がかかり、約束の時間に遅れることもありました。
④ ガスを使用している時にガスコンロが視界から消えると、ガスを使用していることを忘れてしまう。
⑤ テレビをみながら風呂のお湯はりをしていると、お湯はりをしていることを忘れてしまう。
⑥ 予定を覚えていることが出来ず、ダブルで予定をいれることがある。
⑦外出時のトラブル
・財布をどこにしまったかが分からなくなる。
・軽井沢に行ったときは、特急券をどこにしまったかわからなくなった。
・よく行く場所でも周りをよく注意していないと、通り過ぎてしまう。
・大宮から軽井沢に行く場合、長野行きと新潟行き新幹線が同じホームより出発するが、構内アナウンスを聞いてもすぐに忘れるので、乗ってから不安になった。
⑧パソコン使用時
・メールの書き方がおかしい。普通は挨拶文から始めるのだが、いきなり要件を書いている。
・ワードで変換された文字が正しいかどうかわからない。
⑨音がうるさく感じられることが多い。
以上のことが困るできごとと、生活にはりを感じられなくなる事柄です。
いきいきと生きるためには、衣食住が足りているだけでは十分でなはありません。
やはり社会の一員として、何かの役割をもちたい。
認知症になっても、仕事を持って働きたい、働いたからには、少しでもいいから賃金をもらいたく、自分にもできることがまだあると自信をもちたい。
賃金はもらえなくとも、駅,公園の清掃のボランティアなど、人の役ににたてることを通してして人は自分の存在理由をたしかめたいものです。
認知症になっても、できることをして存在理由を確かめながら生きるていきたい気持ちは、普通の人より人一倍つよいです。
これからは、重度の人の介護だけてなく、軽度の認知症のひとが、いかに楽しく生活できるかを、どのように生活支援をしていくかが、今後の課題です。
社会の一員と認められたく、仕事がしたい。
アートセラピーで絵を描きたい。
沖縄旅行がしたい。
スポーツが好きな人は家の外に出て、スポーツがしたい。
演劇や、コンサートにいきたい。