本人ネットワーク支援事業報告会
3)実践発表会
『認知症・本人ネットワークのすすめ』
日時:2011年3月5日(土)13:00〜16:00
場所:京都JA会館
(2)地域での交流会報告
③ぼやき・つぶやき・元気になる会
皆様こんにちは。大牟田から参りました。
うちの名前はやや消極的な名前なんですけど、後ほどなんでこんな風になったかということもお話します。要は、ぼやきたいというようなことから始まりました。「ぼやき・つぶやき・元気になる会」福岡県大牟田市からです。
今日は、私は大牟田市認知症ケア研究会の役割を持っておりますが、通称”親方”と言われております。それから今日は、本日付で”元気になる会”の会長になられたCさんと、本日付で事務局長になられたDさんと、そして家族代表のCさんの奥さま。それから子ども代表まで。最年少6歳ですけれど、子供代表のりんちゃん。通称あんちゃんのサポーターということで6人で参りました。今、木曜会は50回とおっしゃいましたけれども、うちはようやく今月で10回目ですのでこれからの会です。これは全然関係ないんですけれども、博多駅がオープンしましたので是非お越し下さい。九州新幹線も3月12日に開通しますので、もうひとっ飛びですのでね。いつでもお越しいただきたいと思います。
実は大牟田は色々な取り組みをやっていて、本人交流会はようやく始まったというところなんですけれども、例えば絵本教室というのをやっていまして、”いつだって心は生きている”という絵本を作って、小学校で絵本教室をやったりするんですね。これが先ほどの2004年の京都で家族の会の方々ら賞をいただいたんですね。あの時、越智さんのお話とかクリスティーンさんのお話に本当に感銘を受けて、私たちもご本人さんたちと一緒にやりたいなあと思っていたんですけれど、時間が過ぎまして、6年の後ようやくご本人さんたちと繋がるようになりました。
今は本当に、色んな取り組みをやっていたけれども、それは全部外堀だったなあと言う風に思っています。今ようやく本人さんたちと一緒にやれて本人さん達とつながる何かが出来たのではないかなあと思っています。
それで実はとても本人の会とか交流会とか勉強をしていましたので、やりたかったんですが、なかなか機会が巡ってきませんでした。ところが今申しましたように、6年の後、平成21年夏にお二人の若年性認知症の方と出会いました。それは、「こころね」というデイサービスにいらっしゃるようになった時なんですね。
年齢まで書いてありますが、親方はこの時51歳と書いてますけれどもね。この「こころね」というデイサービスを拠点に、お二人の気持ちを大事にしながら、すぐにお話を伺おうということではなくて、関係づくりを中心にしました。で、働く試みとして「洗車工房あらいぐまラスカル」というのをやったり、500円で洗車をしていただくとか、それから中学校の花壇の手入れを積極的にやりに行って、中学校をサポートしようという取り組みで、社会参加活動を行いながら関係づくりをしていきました。
こうやってちょっとへっぴり腰ですけれど、皆さんが洗車をして下さっています。それからこれは中学校の花壇なんですけれど、私たちが行くまでもうボロボロだったんですよね。それが私たちが行くようになって手入れをして、時には生徒会の子どもとか野球部の子ども達と色々交流をしたり、校長室に招かれてなにかVIPのような扱いを受けたり、そんなこんなしながらずっと社会活動を続けてきました。
そして22年の冬つい最近のことなんですけれど、Cさんという方がいろんなお話をして下さるようになった。色んなことに困っておられたということで、いよいよご本人さんとお話をすることにしました。”怪談”怪しい談とありますが、この時初めてご本人さんから、「自分の病気はアルツハイマーだということを知っている」と。「治るものなら治った方がいいけれど、ここに来てから気持ちが楽になった」と。「家ではかあちゃんと時々言い合ってしまう。腹が立ってついイライラしてカットなってしまうんだ。いつも後でしまったーと思うけどね。ごめんね。悪かったねと言いたいと思うけどね。」と言われて。
会のねらい
- 同じような思いを持っている本人同士の出会いの場
- 本人同士が日頃の思いや願いを語らう場
- 一人で悩んでいる人が、仲間とつながり、一歩を踏み出す場
- 「私たち」をサポートしてくれている家族同士が出会い、語らう場
「以前テレビで病気の人が夫婦で出ていたのを見たことがある。きっと同じ気持ちだと思うからしゃべってみたい」ということを、この時初めてご本人さんとお話をしたんですね。そこで、今度は3人のトリオで漫談をいたしまして、本当に私達3人はどちらかというと、真面目な会というより常にボケと突っ込みの会なんですけれど、3人でこういうこと「お互いにしゃべる会」というのを作ろうと、Cさんという方とFさんと言われる方が発起人になられて、その発起人の言葉を資料に掲載させていただいております。
そして名称も、とにかく自分もぼやきたいと、言いたいことがあるんだということで、我慢しなくてもいいよね、ぼやいてもいいよねということで、ボヤキ・つぶやきと、ここまでしかなかったんです。でもこれだけではあまりに消極的だよねと。もうちょっと何か入れた方がいいんじゃあないのということで、”ぼやき・つぶやき・元気になる会”と命名していただいて、そのテレビに出ておられたお二人という方が、おそらく大分の足立昭一さんご夫妻だろうということで、ご本人さん達に連絡をしまして、第一回目の会を開催することになりました。
会の運営
- 実施主体:大牟田市認知症ケア研究会
協力:生活応援工房&デイホームこころね - 現在までに6名の若年認知症及び若年期発症の認知症のご本人や家族が参加
- 平均参加者:4〜5名
大牟田市、みやま市、熊本県南関町より - サポーター:8名
- 月1回開催(2時間程度)+随時イベントへの参加
- 参加費:無料(必要に応じて実費、茶菓子持ち寄り)
この一回目の本人ネットワークの事業と同じです。ひとりで悩んでいたひとが皆とつながり、一歩を踏み出す場。本人をサポートしてくれている家族同士が、語らい励ます場にもなったらいいなあということで会がはじまりました。
会の実施主体は、大牟田市認知症ケア研究会で、資料には事業所のように書いてありますが、そこは協力の事業所ということになります。だいたい、平均4〜5名参加していただいてまして、大牟田市でやっているんですけれども他、周辺地域にこうゆう会がないものですから、隣のみやま市という熊本県の南関町というところからおいでいただきまして、通常サポーターが8名ほどいますけれども、月に1回実施してきました。
これまでの実施状況
第1回 | H22年5月27日 | 大分より足立昭一・由美子さん夫妻をゲストに発足式 |
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第2回 | H22年7月23日 | じっくりと自己紹介 |
第3回 | H22年8月8日 | 人・心・まちづくり地域ミーティングへ足立さんの応援団として参加、壇上で市民へアピール |
第4回 | H22年9月21日 | (世界アルツハイマーデー) 本人同士の会話が盛り上がる |
第5回 | H22年11月20日 | 大分へ小旅行(足立夫妻や家族の会の皆さんとの交流、宇佐神宮参拝) ここで親方の恋おみくじが大吉! |
第6回 | H22年11月23日 | 認知症あったかホームコンサート(福岡市)にC夫妻初出演、もの忘れカフェを開催 |
第7回 | H22年12月22日 | 厚生労働省への意見を出し合う、忘年会 |
第8回 | H23年1月5日 | 大阪より沖田裕子さんをゲストに厚生労働省への意見のまとめを行う C夫妻が厚生労働省の意見交換会に出席 |
第9回 | H23年2月9日 | 仲間同士の話が増えてきて絆が深まってきた、イベントの話し合い 若年認知症のフレンドシップキャンペーン 春はつらつ三池山登山3月20日きてみらんね〜! |
1回目は足立さんにおいでいただき、このとき足立さんとCさんは昔からの友達だったように、兄弟のように、深い出会いがありまして、今も出会っただけで心が通じ合うという2人になりました。
3回目は足立さんが大牟田に講演にいらっしゃるということで、応援に行き壇上でアピールをしました。それから、大分に小旅行して、大分の家族の会の皆さんと交流をしたり、宇佐神宮に参拝したりしました。大分と大牟田と似ているんですけど2時間ほど離れているんですね。行き来をしながら交流を深めていきました。
11月に福岡市で行われました認知症あったかホームコンサートといところで、はじめてCさんご夫婦が講演をなさいました。そこで、ご家族の思いやご本人の思いを語ってくださって。壇上に上がると、なかなか言葉が出なくて、言葉のかわりに涙が出て、でも気持ちは十分に会場の皆さんに伝わって、非常にあったかいコンサートにすることができました。
このぼやきの会の皆さんと、物忘れカフェもしまして、その時60杯くらいコーヒーを売りまして、後でおいしいものを食べたりしました。
1月に沖田さんに来てもらった時には、1月19日の厚生労働省の若年性認知症の意見交換会に来てくださいとうかがっていまして、Cさんご夫妻が出席することになっていたので、厚生労働省に出す意見をまとめていました。それを持って、1月19日にCさんご夫妻が出席されました。
2月は、今月行われるフレンドシップ・キャンペーンということで、三池山登山をする、わずか300Mの山で、はたして登山といえるのかわかりませんが、これを仲間と一緒にやるフレンドシップということで、若年認知症の方のことを是非知っていただき、一緒に登っていただけたらなあと。友達として支えてくだされば、地域でいろんな活動ができるということを、アピールしようということで今月の3月20日に登るのですが、そんな話し合いを続けてきました。
1月19日へは意見をおっしゃって、非常に印象的だったのは、Cさんが「認知症になっても働けるうちはできるだけ働きたい、いままでと同じようにはいかなけど、耳の不自由な人が手話や字に書いてサポートを受け働いているのを見たことがある。アルツハイマーにも、そんなサポートがあれば、自分ももう少し働けたと思う。」こういう意見を作って発表されました。
本当に仲間とであって今積極的に生きるという、そういう皆さんが感じておられるのではないかなあと思います。
あったかホームコンサートまでは、Cさんご夫妻は、大勢の前で話すとか、名前を出すとか考えてなかったと思います。後でまたお話しを聞きますが。本当に目の前のことが毎日大変で、どうしたらよいかわからないという状況におられたんですけれども、足立さんとめぐりあって、1回、2回と回を重ねるうちにですね、Cさんの奥様が足立さんの奥様とお話されて、仲間にひろがってきて。Cさんが泣いているシーンですが、どれだけ私が話しても、Cさんが泣き落としですね、これで、皆さんにじわーっと伝わっていくんですね。今日も泣く準備をされていると思いますがね。
とういうことで、皆さんに出てきていただいて。子ども代表、事務局長とかもいらっしゃっていますが、本人さんたちは、今日付けですので、ご存知ないんですが・・・どうぞ。
「かあちゃんにありがとうと言いたい」とかかれました。Cさんです。未だにまだ言ってない。
右手に「ありがとう」と書いて、左手に「ごめんね」って書いて出したらって言ったんですけど、未だに言ってないらしいです。Cさんどうですか?発起人で会長ですけど
- Cさん
皆と知り合いになって、仲間が増えました。
- 大谷さん
認知症にならなかったらよかったけど、ならなかったら会わなかった友達に会えてよかった。よかですよね。いつも泣かしてしまって・・Cさんの奥様どうですか、ぼやきの会に参加して。
- Cさん(妻)
こうゆう会に出させていただいて、本当に、仲間というか家族の方たちと出会って、私も元気をもらっているんですよね。こういう会っていうのは、本人を持たないとわからないと思います。やっぱり、こういう会に出て横のつながりを持ちたいと思いますので、よろしくお願いします。
- 大谷さん
ではDさん。2回目に「私の毎日は忍耐の一言です」と。
- Dさん
これ私の子どもです。私63歳、この子が6歳。この子は、56歳で生まれています。子どもが全部で9人おりまして、大変な贅沢です。認知症になったのは、約1年前です。自分で頭がボケて、診てくださいと言ったら、そういうことは奥さんといっしょでないとだめですといわれて、もう一回帰って、一緒に行ったらアルツハイマー病だということで、現在にいたっています。だけども、このことはあっていいとおもいますよ。生きることは簡単なことと思っていました。だから生きることの意味はどういうことなのかっていうことをね、しっかりと考えるようになって、やっぱこれからの人生、自分が自分でちゃんと生き抜く、子どもたちのためにもそうしなければならないということになりました。とにかく、マイナスの面もあるでしょうけれど、プラスの面もある。これからも、真剣に行きたいと思います。
- 大谷さん
さすが事務局長、アピールしてくださいました。
今日は、新幹線の中で皆にふさわしい歌を歌おうということで、皆さんも一緒に歌ってください。